fc2ブログ

絵巻物 

平安時代の終わりに、後白河院という人がいました。源平合戦の時代にあって、その武力に押されつつも権威を失うことなく生きた人物だったと思います。この人は今様(当時の現代歌謡)を愛し『梁塵秘抄』を編纂したことでも知られています。今様は「遊びをせんとや生まれけん たはぶれせんとや生まれけん 遊ぶこどもの声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ」のように「75・75・75・75」という形が多いですが、完全な定型ではありません。
後白河院が文化の歴史に大きな役割を果たしたものとして絵巻物の制作があります。この時期に多くの絵巻物が作られたらしく『年中行事絵巻』『伴大納言絵巻』などのほか、『信貴山縁起絵巻』『源氏物語絵巻』なども描かれ、それらの多くは

    後白河院が関与

したと考えられています。
映画『かぐや姫の物語』では、かぐや姫が相模という教育係に絵巻物を見せてもらう場面があります。原作の『竹取物語』の時代は求婚者の名前から考えて飛鳥時代ですが、物語の成立した9世紀ごろの風俗で描かれているとしても寝殿造はまだ確立されていませんし、絵巻物は存在していなかったと考えられます。9世紀なら絵巻物ではなく、冊子、言い換えると絵本ならあっただろうと思います。『源氏物語絵巻』「東屋・一」には浮舟という女性が女房に本を読んでもらいながら冊子の絵を見ている場面が描かれています(絵とテキストは別の本)。ただしすぐそばに巻物もあり、これも絵なのかもしれません。
その他、さまざまな風俗から考えて、『かぐや姫の物語』の舞台は概ね

    平安時代末期

のイメージで作られていると考えればよいと思います。分かりやすく言えば、高畑監督が大変詳しくていらっしゃる絵巻物に描かれた世界を基準になさったのだと思います。
たとえば、かぐや姫の名づけの宴の場面で、門外につば広帽子や高下駄を履いた(ただし多くは裸足)田楽の一行が出てきますが、彼らは編木(びんざさら)、太鼓、笛、鉦、腰鼓などの楽器で演奏し、音曲に合わせて曲芸もしています。これは『年中行事絵巻』の「祇園御霊会」の場面に描かれる田楽法師たちを参考になさったのかもしれません。『年中行事絵巻』では一人の人物が曲芸ふうに鼓を放り上げているのですが、これをもっと芸能らしく見せるためなのか、『かぐや姫の物語』ではジャグリングをしている場面があります。
内裏清涼殿(帝の常の御座)の、東の孫廂に公卿が控えている場面は『信貴山縁起絵巻』に描かれる絵とよく似ています。清涼殿自体は『信貴山』のほかにも『年中行事絵巻』や『伴大納言絵巻』などの絵もあって、当時のようすがよく伝わっています。余談ですが、『信貴山縁起絵巻』には奈良東大寺の大仏が描かれているのですが、これは初代の大仏、つまり平重衡による焼き討ちに遭う前の姿なのです。実に貴重な絵画史料です。
石作皇子は二枚目を装うために廂の間に腰を下ろして簀子に足を流すような姿勢を取りますが、こういうポーズは階や縁に腰を下ろしている『源氏物語絵巻』『年中行事絵巻』『紫式部日記絵巻』の男たちにも見られます。
5人の求婚者たちがかぐや姫の邸に向かう時、牛車を猛スピードで走らせる人がいます。馬にははるかに及びませんが、牛は走るとそれなりに速く、時速20㎞以上で走れるようです。あの巨躯で走られると、実際はもっと早く感じるかもしれません。牛車はもともとゆっくり進むためのものですが、実際に牛が何らかの理由で興奮して速く走ることはあり、そうなると手が付けられませんでした。そういう姿は『年中行事絵巻(稲荷祭)』『平治物語絵巻(三条殿夜討)』『直幹申文絵巻』などにも見られます。
翁が天人に攻撃を加えるために建物の周囲にバリアを建造しますが、その大工たちの働きは『松崎天神絵巻』の北野社造営や『石山寺縁起絵巻』の石山寺造営の場面が参考になったかもしれません。『松崎天神』の絵を見ていると大工たちのようすが生き生きとして今にも動き出しそうですが、そういう目で絵巻を観ることのできる人は、これこそアニメの元祖であると感じ取れるのだと思います。
いずれも「かもしれない」ということなのですが、直接参考にされなかったとしても、高畑さんは絵巻物をあれこれご覧になっていますので、間接的にでも影響を受けられたのではないか、と思っています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
jyorurisakushaをフォローしましょう

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/6546-bbf39686