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寝殿造り 

平安時代の貴族の邸宅として知られるのは「寝殿造り」です。平安時代の初期にはまだなくて、次第に形が整っていくのです。この「寝殿造り」という言葉そのものは新しいもので、わかっている限りでは江戸時代が初見です。中央に寝殿という建物があって、東西、あるいは北に廊下で繋がれる「対」があります。内裏(皇居)が火災などの理由で使えなくなった時、天皇は一時的にこういう邸宅を仮御所とします。その場合は寝殿が紫宸殿、北の対が清涼殿の役割を果たしたりします。清涼殿は本来東向きに作られており、前庭は「東庭」でしたが、寝殿造りの北の対を清涼殿にすると前庭が南側になります。それでもこれを「東庭」と言ったりしたようです。
寝殿造りの場合、南側には池が作られますので「南の対」というものはありません。
門は東西と北に作られたようですが、よく使われるのは東西門だと思います。

    『かぐや姫の物語』

では、平安時代後期が舞台設定のようになっていますので、建物は寝殿造りです。かぐや姫が初めて都の屋敷に入った時は東門から入って東の対に上がり、そこから透渡殿(すきわたどの)という渡り廊下を渡って寝殿に行きました。寝殿にはかしこまって座っている翁と媼がいて、かぐや姫に着替えなさいというのですが、たくさんの装束が置かれた部屋がありました。これはおそらく塗籠(四方を壁で塗りこめた部屋。妻戸があって、そこから出入りする)だろうと思います。帝もやはり東門から入りましたが、東の対から寝殿に渡るのは北側の渡殿を通って、東北の妻戸から入っています。この時はすでに夕刻で西日が射しこんでいます。かぐや姫は西の廂の間にいるようで、帝は姫のいる局の南側の几帳から覗き込んだあと、東側に立ててある屏風の方からかぐや姫に迫りました。部屋には脇息が置かれ、火取り(香炉)が薫(た)かれています。かぐや姫が普段暮らす部屋というよりは、琴(きん)の稽古場のようにしている部屋かも知れません。かぐや姫が姿を消したあと、西の簀子に出ます。そこから帝は

    釣殿(つりどの)

のある南西側を見ます。この釣殿は後にかぐや姫が月を眺める場所としても用いられます。釣殿は東の対と西の対の両方の延長上に設けられることも、どちらかのみに置かれることもありました。月からの使者を防ごうと翁が防衛軍(?)を配備した場面で、この屋敷が俯瞰される場面が一瞬あるのです。これを見ると、釣殿があるのは西だけです。なお、この俯瞰図は寝殿造りの絵としてはいささかいびつな形をしているように思われ、特に東の中門廊と呼ばれるところの描き方が奇妙に見えます。中門廊というのは北側の建物(東の対、西の対)から南に向かって伸びていますが、南側には池があるため、そこで途切れてしまう(途切れたところが「釣殿」)のが普通です。しかし映画ではさらに南まで東中門廊は伸びているのです。西の中門廊は当然西の対から出ていますが、この画面では西の対が省かれたような描き方です。何も、高畑監督の仕事がずさんだと言っているのではありません。高畑さんならそれくらいは分かっているはずで、絵として効果のある描き方を採られたのではないかというのが私の推測です。
この映画で面白いのは、媼が作業をする部屋を持っていることです。実際の寝殿造りでは、北側に蔵があったり下仕えのものが暮らしたりしたと思われますが、そちらにあったと決めつけることはできないと思います。対の屋から廊でつながった場所だと思われ、西の対のさらに西側かな、と想像しています。檜皮葺の寝殿に対してこちらは藁葺。きわめて質素な造りで、媼はここで煮炊きをしたり、機織りをしたりしています。かぐや姫も機織りをしたり琴を弾いたり、そして箱庭のような小さな山の家を作り、川や橋を設けて疑似的に山の暮らしをしているのです。その庭についてかぐや姫自身が「茅草が竹林、蓬も木々そっくり」と言っています。ただ、かぐや姫はこの「疑似的な」暮らしを「ニセモノ」と感じて絶望することになるのですが。
寝殿造りはある程度絵画史料もあり、研究もありますので、映画で描く場合もそんなに難しくはなかったかもしれません。
この映画では太陽の光とそれによる影をよく用いていて、壮麗な寝殿造りの建物が作る影も印象的です。

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