fc2ブログ

かぐや姫の物語の覚書でした 

ここしばらく、高畑勲監督『かぐや姫の物語』についていろいろ考えてメモランダムの形で書いてきました。この映画は、月の世界という、いわば「理想郷」であるはずのところにもなかった「ほんものの愛」に憧れたかぐや姫(月では何と呼ばれていたのでしょうか)のお話でした。
彼女は月の世界で、かつて地上に降りた人が歌っては涙を流していたのを見て、涙を流すほどの「ほんものの愛」とは何なのかを知りたくなりました。禁断の地に憧れたというその罪のために、彼女は罰としてほかならぬその地上に降ろされたのでした。ところが地上の親(特に父親)が娘の幸せを願うがゆえに与えようとする「愛」、それは彼女にとっては「にせものの愛」であったために苦しむことになってしまいます。
父親としては、娘に苦労させたくありません。山を駆けずり回って、ぼろぼろの服を着て、貧しさに負けて盗みさえするような生活なんて、絶対にしてほしくない。考えただけでもぞっとするのです。ところが、そんなところに、案外「ほんとうの愛」はあるのだ、と、かぐや姫は

    捨丸

の生き方を見ながら感じます。捨丸はかぐや姫が都に行ったあと、平凡な(映画では終始無表情に描かれる)女性を妻として、自分の手で粗末な家を建てて、山の木を切って、ある程度切ってしまうと今度はその樹勢が回復するまでは別の場所に行って暮らします。根無し草のような生活。それでもそこに「ほんとうの愛」があるとかぐや姫は思うのです。かつて月の世界で「まわれ、めぐれ、めぐれよ」の歌を歌っていた人は、地上で名もない貧しそうな男と暮らし、子どもが一人いたようです。その暮らしをかぐや姫もしてみたかったのかもしれません。
私はここしばらく、『かぐや姫の物語』を細かく観て、それについての覚書をここにメモしてきました。実は何らかの形でまとめて活字にしておこうと思ったのです。しかし、どうしても

    高畑勲監督

ほかのスタッフの皆さんのインタビューを集めきることができず、また、私の身体的な事情から、そのインタビューの中味を理解することの難しさがわかり、とりあえず保留することにしました。
それでも、この作品をしっかり見つめることができて、平安時代を専攻してきた者としての視点を持つことができたように思います。
ここに書いてきたことは、私が考えてきたことの一部なのです。勉強することはいつでも、どんなところにでも転がっています。
この作品を観ることで、高畑さんらの脚本の作り方も学べましたので、浄瑠璃を書く時の参考になったとも思っています。この映画をご覧になっていない方にとっては「何のことかわからない」ことを長々と書いてまいりました。お付き合いくださった方、ありがとうございました。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
jyorurisakushaをフォローしましょう

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/6574-c99424de