それは技術に過ぎない
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数学者の岡潔さんが前世紀の科学のなしたこととして「破壊」と「機械的操作」を挙げていらっしゃったことは少し前に書きました。
科学と戦争は密接な関係にあって、あたかも科学者は戦争をするために研究しているかのように見えることがあるかもしれません。しかし本来、科学者というのは、自分が疑問に思うことを学問的な手続きを踏まえたうえで解き明かしていくことに人生を賭けている人たちのことでしょう。私にはわからない、数学の難問を解き明かすことに夢中になる人がいるのは、実は科学者の本来の姿なのだろうと思います。
最近私のような文学の勉強をしてきた者がしばしば言われる
「世の中の役に立たない」
といういやな言葉は、何も文学だけではない、基本的にはすべての科学者に当たるかもしれません。たとえ役になんて立たなくても本気で勉強する人にとってはそんなことどうでもいいことではないのだと思うのです。
ところが、文学の場合はどうあがいても「役に立たない」のに、サイエンスのほうは結果的に「役に立ってしまう」ことがあります。例えば兵器を造ることを目標に研究していたわけでもないのに結果的にそういう形で「役に立ってしまう」わけです。そして、多くの報酬が得られることもあり、名誉という意味でも魅力的。時の権力者にもてはやされて、行きつくところは
御用学者
ということになります。そういう人は、科学者としていつの間にか道を外してしまったように感じます。思えばあのノーベル賞のアルフレッド・ノーベルもダイナマイトなどの発明で巨万の富を得て、「死の商人」とまで呼ばれたことがありました。私が子どものころ、ノーベルはダイナマイトを作ってそれが兵器に使われるとは思わず、悲しくてノーベル賞を設けた、という美談を聞かされた覚えがあるのですが、どうもそうとは言えないようです。
「結果的に役に立ってしまった」というと、原子爆弾がまさにそれで、なにも爆弾を作ろうとして研究していたわけではないのに結果的にそちらに持っていかれてしまったということではないでしょうか。最近読んだ池内了『科学者と戦争』(岩波新書)では、原爆の開発は、「原子核物理学」(何のことか知りません)の原理が分かったうえで「爆発物として実現する技術の開発」であったと記されています。ドローンでもそれが軍事に用いられるのはやはり「技術」です(これも池内氏の本に書かれています)。「科学技術」という言葉があるように、科学は技術の上なのかというと、そうでもなさそうです。池内さんは「科学は技術に従属するのが当然とされてきた」とおっしゃっています。そういえば「人形浄瑠璃」というのもあくまで浄瑠璃があっての人形芝居です。初代玉男師匠は「きつねうどんはうどんが主役」とおっしゃっていました。
文学の研究などはどんな技術を使っても原爆を作ることはできませんから、権力者にとってはどうでもいい(笑)学問に思えるのだろうかとひがんで(笑)しまいます。いや、実は嬉しいことですけどね。
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- [2023/09/23 00:00]
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