fc2ブログ

久しぶりの大阪歩き(2) 

小橋という地域はわりあいに広くて、JR鶴橋駅を挟んだ東西に及んでいます。東側は東成区東小橋というところで、天王寺区小橋町は近鉄電車の線路を含む北側です。『迎駕籠死期茜染』のいう野中の井戸がどこにあったのかはわかりませんが、とりあえず小橋町をぐるりと歩いてみました。地図でわからなかったのは、東に向かって下り坂になっていること、言い換えると西の方(産湯稲荷神社のあたり)がやや丘陵地になっていることでした。大阪は上町台地の東西が低くなっていますから、下り坂になるのは当たり前なのですが、実際に行くまでは実感がありませんでした。
小橋町の北には大正時代まで味原池があったのですが、この池とともに丘陵地は桃の林として景勝の地であったそうです。
伝染病治療のための施設であった桃山病院(天王寺区筆ケ崎町。今はない)の名称もこの桃の林に由来するのかもしれません。小橋町の最寄り駅であるJR「鶴橋」のひとつ南側の駅は「桃谷」ですが、この駅は本来大阪鉄道の

    「桃山」駅

だったそうです。のちに大阪鉄道は合併して関西鉄道になり、さらにその後、関西鉄道は奈良鉄道も合併します。ところが奈良鉄道にも桃山駅(伏見桃山の「桃山」)がありますので、もとの大阪鉄道の駅が「桃谷」になったのだそうです。
産湯稲荷神社の所在地は、もとは比賣許曾(ひめこそ)神社があったところ(今は東成区に移転)で、産湯稲荷はその境外末社だったそうです。
「稲荷俥」という落語があります。もともと上方のものですが、江戸落語にも移され、そちらでは上野から王子稲荷まで俥に乗せる話にされました。上方では桂米朝師が戦後に復活されたのですが、その内容は次のようなものです。
高津で客待ちをしていた梅吉がある人物に「産湯まで」と頼まれ、あのあたりは狐が出るから、とためらいつつも30銭出すといわれて乗せることにします。梅吉が身の上話などをしているうちに産湯の森が近づいてきます。梅吉は狐が怖くて「もうこの辺で」というと、男は「私は産湯の稲荷のお使いの者(狐)だ」と言い、目的地まで生かせたあげく、「お前は正直ものだ、近い内に福を授けよう」といいかげんなことを言って車代を踏み倒して去っていきます。梅吉が帰宅して妻に事情を話しますが、妻はもちろん信じません。ところが俥の中を見るとそこには150円という大金がありました。男の忘れものです。これは警察に届けねばと彼女は言いますが、梅吉は「稲荷様のお恵みだ」と言って近所の人を集めて酒宴を始めます。一方くだんの男は150円を忘れたことに気付き、乗り逃げしただけに警察にも行けず、身の上話の途中で聴いた俥屋の家(高津四番町)に行きました。梅吉はお稲荷様のお越しだと言って大喜びして酒をふるまおうとします。男は「穴があったら入りたい」というのですが、梅吉は「とんでもない、お社を建ててお祀りします」。
落語と言えば、小佐田定雄さんの新作落語にも

    産湯狐

があります。こちらは桂枝雀さんがお話しになりました。
極道者の息子の吉松が家を飛び出したあと、その母親のお米(およね)が「吉松が無事に戻りますように」と毎朝お膳を産湯稲荷に供えに行くようになって、風邪気味なのに無理を押して行ったところ、倒れてしまいます。長屋の隣の男が明日からは代わりにお膳を供えてやると約束して、妻のお咲(おさき)に頼みます。お咲も承知してお膳を供えるのですが、夕方御膳を下げに行くとカラになっています。宮司さんの話では、狐の仕業だろう、ということでした。
そんなある日の夜中、お米婆さんの家からお米と若い男の声が聞こえてきました。長屋の薄い壁に穴をあけて覗くと、そこには吉松がいたのです。翌朝、事情を聴くと吉松が帰って看病してくれたとのことでしたが、吉松はまたどこかへ行ってしまったとのことです。
その夜、また吉松が来ているようです。雪の降る早朝、男は吉松と話をしようと思って隣に行きますが、また吉松はいません。おかしいと思って外を見ると、狐が一匹屋根から屋根へと飛ぶように去っていくのが見えました。
そんなお話です。「きっちゃん」と呼ばれる「きちまつ」は、もちろん「きつね」をもじった名前でしょう。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
jyorurisakushaをフォローしましょう

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/6600-cda90720