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文化を語ろう 

今から20年以上前のこと、私が勤務していた短期大学で学会を開催することになりました。その分野に関係している教員は私ともう一人高齢の大先生でした。となると、現場で走り回らねばならないのは私です。
近くの駅から会場までの案内を簡単に矢印であちこちに貼ったり外したり、トイレの案内、マイクの設定、懇親会の案内、後片付けなどを、手伝ってくれた事務職員さんと一緒に引き受けたりしました。大先生は懇親会担当で、事務から費用の援助をもらうという大事な役割(!)がありました。その先生いわく、「学会の成否は

    懇親会の料理と費用の格差

で決まる」とのことでした。つまり、値段の割にいいものが出た、と思わせたら成功だ、というわけです。きわめて現実的で反論のしようもなく、「学問的な会が成立したらあとはどうぞご勝手に」と思っていた私の「お花畑的」な考え方など吹っ飛ばされました。
私はあの懇親会というのが苦手なのですが、さりとて参加しないわけにはいかず、後片付けをしてから遅れて出かけました。大先生のテーブルには行かず、同年代か少し上くらいの人が集まっているところにもぐりこんだのです。
当時からすでに国文科は消え去る運命にあると言われており、話題はどうしてもそこに集中していました。すると、ある若手の先生が「国文科をなくすなんてどういうことだ、自分たちの文化を語らずに大学なんて存在しえないじゃないか」とおっしゃり、そのテーブルでは

    「そうだそうだ」

の声が次々に挙がったのです。ただ、自分たちの専門分野が危機的な状況にあるだけに、その賛同の声はむなしい悲鳴のようにも聞こえました。とりわけ切実だったのは小さな短期大学の国文科の若手教員でした。私なんてまさにそのひとりで、そのとき案じていたとおり短期大学は廃学になったのです。
その後私は窓際的な仕事をすることになってしまうのですが、皮肉なことに、窓際族になってあらためてかの若手先生がおっしゃった「文化を語る」ことの大切さを感じることになりました。あれ以後、学校が

「規則」と「お金」

ばかりの発想になって、なんともつまらない無機的な建物と化してしまったように思えてならないのです。資格を取るためにはこれだけのことをしなければならない、成績が伴わねば資格試験を受けることも許されない、オープンキャンパスではいかにも簡単にあれこれ資格が取れるように言っていたのに現実は違う・・などと学生さんも不満を言うことが増えました。資格取得目的学校になるとどうしてもそういうことが起こるのです。そういえば、私が担当していた日本文化の授業もなぜか閉鎖されてしまいました。
お金のことは分からないことも多いので言いたくありませんが、「何でも倹約」という考え方が学生サービスの低下を生んでいることだけは私も目の当たりにしました。
もちろん文化というのは、文学、美術、音楽、演劇・映画などの芸術だけを指すのではありません。日常の言葉、スポーツ、食生活、衣服、建築、宗教など、さまざまなことに言及しなければなりません。でも、もうそんなことを語る場はあまり多くはないのです。
文化に関わる大学の先生方にはどうか頑張っていただきたいです。

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