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昭和の文楽(2) 

まだまだ何もわからずに観ていた文楽でした。しかし、次々に「初めて観る演目」をクリアして、次第に二度目、三度目を観るようになりました。こうなるとほんとうにおもしろくなってきます。前回見た時とどう違うのかを楽しめるからです。それは演者さんの違いであると同時に私自身の成長と言うか、年齢を少しでも重ねたことによる違いなのです。繰り返すことで味わいが変わったり深まったりします。伝統芸能に限ったことではないと思うのですが、繰り返し観ることで観かたが変わることはよくあることです。絵だって音楽だって同じだと思います。
国立文楽劇場ができたのは1984年。開場公演には、当時付き合っていた(笑)女の子と観に行きました。「すしや」の長大さに、彼女はばててしまって、それ以後は一度『曽根崎心中』に付き合ってくれた(これならあっという間に終わりますから)だけで、

    文楽ファン

にはできませんでした。最初に見せたのが大物過ぎたかもしれません。
文楽劇場ができたころからはほんとうに熱心に観るようになりました。一度も欠かすことなく、公演の前半と後半に一度ずつ観ることもしばしばでした。
文楽劇場の開場公演の『千本』の通しでは、津太夫師匠の二段目、越路師匠の三段目、織さん(九代綱、九代源)の四段目。南部師匠は道行のシン、文字さん(七代住)は『三番叟』の翁でした。玉男師匠が権太と知盛、勘十郎師匠が狐忠信、簔助さんが静御前と維盛、文雀さんが弥左衛門、清十郎師匠はすでにご病気が重く、初日に顔を出されただけで、私が拝見したお里は代役の一暢さんでした。玉五郎さんもまだお元気で、弥左衛門女房をなさいました。若手では、

    五代呂太夫さん

の「すしや」の「後」もよく覚えています。「よーしぃのーに、のこーる、めぇぇえぇぇいぃぶぅつぅに」というところのみごとだったこと。嶋さんは四段目の中、小松さんは『三番叟』の千歳、咲さんは「幽霊」(渡海屋の中)でした。
こうやって書いているだけでありありとあの当時のことが思い浮かびます。
昭和はもうすぐ終わろうとしていたのですが、もちろん当時の人はそんなことは想像していません。しかし、四代津、五代南部、四代重造、叶太郎、二代勘十郎、四代清十郎らが亡くなり、平成元年春に越路師匠が引退されたことをもって名実ともに「昭和の文楽」は終わったのだと思います。
そしてそれは私の青春の終わりだったのかもしれません。しかし、私の文楽との、なかば仕事のようなお付き合いは、昭和の終焉によって始まったとも言えるのでした。

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