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藤原道長の病気(1) 

来年のNHK大河ドラマでは紫式部とその時代が描かれるそうです。私はもう何十年も大河ドラマを観ていませんので、来年もおそらく縁がないと思います。
しかし、好きな方は多くいらっしゃるでしょうから、この秋から1年くらいは意識して紫式部の時代の話をしたいと思っています。
以下、年齢はいわゆる数え年で書きます。966年生まれの藤原道長の場合、たとえば969年は四歳です。
11月には某所で藤原道長の病気について(笑)話すことにしているのですが、それも大河ドラマに引っ掛けてお客さんに来てもらおうという魂胆がありました。この講演会ではいろんな分野の人がひとつのテーマを基にして話をするのですが、その分野というのは医療、音楽、栄養学とさまざまです。
私は人気がなくて、昨年は私の担当した回は申し込みをされた人数の6割くらいしか受講者は来られませんでした。恐ろしくて聞いていないのですが、すべての講演の中で最低の人数だっただろうと推測しています。今年は昨年より多くの方が受講希望されているようなのですが、また私の時だけ少ないという

    憂き目を見る

のかもしれません(涙)。
以下、かなり長くなりますが、そのときにお話ししようと思っていることをメモしておきます。というより、このブログの記事を書くことで予習をしているのです(笑)。
藤原道長という人は健康にあまり自信がなかったように思われます。彼の実の兄である道隆、道兼や姉の超子、詮子などという人たちは30代から40代前半という年齢で若死にしています。それだけに、自分も長生きできないのではないかという思いがあったと思うのです。
事実、当時の記録を見ると、しばしば病気をしていたことが書かれており、時にはもう出家したいと言い出していることもあります。また、再三天皇に「もう仕事をやめます」と辞表を出したこともありました。天皇に出す文書としては祝賀の意味のもの(賀表)もありますが、辞表も含めてこれらを

    

と言っています。祝賀の表としては「立后」「立太子」「朔旦冬至」などの表があります。朔旦冬至というのは旧暦の十一月一日が冬至に当たることで、この日はめでたいとされて祝宴なども行われたのです。
道長は病気が重くなると一度ではなく三度にわたって上表(辞表の提出)しています。だいたい上表を三度繰り返すのが普通だったようですが、これらは天皇から却下されます。天皇も「はい、辞めてください」とは言わないのです。「やめるやめる詐欺」みたいですが、形式的に「辞める」と言って「そんなことを言うな」と引き留めてもらうわけです。
形式的と言えば、この上表文というのが半端なものではないのです。今なら「一身上の都合で退職いたします」で済みそうですが、そんなものではありません。道長は当時の漢文の泰斗であった大江匡衡に依頼して見事な美文の(もちろん漢文体)表を書かせているのです。学者(もちろん漢学者)はこういう役割も持っていたのですね。

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