藤原道長の病気(付記)
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何となく道長というと「この世は私のものだ」と豪語してふんぞり返っているイメージがあるかもしれませんが、実際は彼とて弱い人間に過ぎません。私はきっとこの人は「こわがり」だったのだろうと思っています。そんなあやふやな思い付きは論文には書けませんのでここで言っておきます。
私は、道長のような権力者は嫌いなのですが、彼が時として見せる情けなさ、弱さに興味があるのです。だからこそ、病気だとか宗教心だとか和歌に見える心情など、あるいはどんな思いを抱いてあの吉野の山(金峯山)を歩いたのだろう、とか、娘に先立たれたときはどれほどの涙を流したのだろう、などということを覗いてみたくなる、そんな気持ちです。
道長は和歌をいくらか残していますが、
哀しみのどん底
では歌が詠めない人なのではないかと思います。『大鏡』という歴史物語は道長の和歌を大げさに称揚するのですが、そういう意味では詩人ではなかったと感じます。
我が家の権力を盤石にするためなら、相手が天皇であろうと、じわじわと追いつめて蹴落としてしまいます。ところがこの人はいったん蹴落とした人に対してはとてもやさしくなるのです。骨抜きにしておいてから親切にする、というのが道長のやり方です。彼は小さな穴を見つけると、他人が油断している隙にその穴を少しずつえぐるようにして、自分に光が当たるような大きさに広げるといった技を持っているように思います。もちろんこの技は天性の要素が大きいでしょうが、成長の過程で
五男という位置
からさほど有能ではない兄たちを見て、自分ならこうするという工夫をする知恵をつけて行ったのかもしれません。
ただ、彼が追い落とした人の恨みをいつの間にか買うことにもなってしまいました。道長自身はさほど罪の意識はなかったのかもしれません。前述のように、自分のしたことに対する償いのように、そういう人たちに思いやりを見せていましたから、これでプラスマイナスゼロだとでも思ったかもしれません。結局道長は自分のしたことが相手をどれほど傷つけているのか、それがどれほど大きなエネルギーを持っているのかはわからなかったのではないでしょうか。虐げられた者、差別を受けた者の悔しさ、悲しさは加害者側には想像もつかないほど大きいものです。
その結果、これは現代の人たちには迷信だと一笑に付されるかもしれませんが、さまざまな
霊に苦しめられる
ことになるのです。おそらくほんとうに悩み苦しんだと思います。○○の霊です、と言われるとほんとうにそうだと思っておののいたのです。バカにすべきではありません。
藤原道長の病気(4)でも書いたのですが、長保二年五月には「厭魅」「呪詛」が病気の原因と言われ、兄道兼の霊が出たり、兄道隆の遺児伊周をもとの官位官職に戻せば治るという「邪気のことば」があったりしました。その言葉を帝に伝えて、拒否されると、病臥する道長は「怒目張口、忿怒非常也(目を怒らせ、口を張って尋常ならざる忿怒の表情をした)」(『権記』長保二年五月二十五日)のです。これは、道長自身ではなく、彼にとりついた物の怪の表情でしょう。
晩年には藤原顕光とその娘延子の霊が道長の娘寛子を苦しめたと伝わり、『栄花物語』では寛子の臨終に及んでその霊が「今ぞ胸あく(ああ、すっきりした)」と言ったとされるほどです。
道長は『源氏物語』の成立に大きな寄与をしたと考えられ、その作者の紫式部にとどまらず、和歌の公任、和泉式部、赤染衛門、書の行成など文化の面での才能ある人を支えた面もあります。
私は学生時代に日本史の山中裕先生にお教えをいただく機会に恵まれ、先生が多くの若者と一緒にお作りになった『御堂関白記全注釈』(全15冊)にも参加させていただきました。それが道長との本格的な出会いでしたが、政治史にあまり興味がないため、道長の和歌や宗教心などを彼の人生をたどることで考える仕事をしてきました。たいした実りではありませんでしたが、そういうものを書くだけでもとてもいい勉強になりました。今ここで道長の病気をざっと眺めることで、またよき学びができたと思います。
依頼された講座のために2か月ほど集中して勉強したのですが、かなりしんどかった(笑)です。こういう講座でいただける報酬はわずかで、仮に報酬を勉強時間で割って時間給を計算したらきわめてみじめなことになりそうですが(笑)。
道長は歴史に残る人物です。しかし彼の評価できる面とできない面をしっかり見極めて、これから生きていく人たちに伝えていきたいとも思います。残念ながらそういう授業は持たせてもらえなかったのですが、一般の方対象の講座でお話しできることはありがたいことだと思います。
歴史を学ぶことは大事です。それは人名、事件、年号などを暗記することではありません。過去を知り、現代を見つめ、未来を展望することだと思います。
今なお、私には、学問の基礎は哲学と歴史学にあると思えてなりません。
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- [2023/11/19 00:00]
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コメント
歴史に学ぶ
歴史に学ぶこと=年号を覚えることではないですよね。
人間は失敗するもの。なので先人の失敗から学べることはたくさんあるように思います。
道長様が上司なら
もし?道長様が上司になったとき。
やりづらい上司だろうなぁ・・
気遣いや、心情を読み取る努力をしたらば。
!!余計なことを言うな!!と。
激怒され。
粛々と事務作業をこなし。
決められた時間に決められた作業をして、息を殺して指示を待つ。
姿勢で従えば、考える頭がないのか!!と、叱責されそうで。
どんどん、目を合わせたくない、孤独にさせる作戦で戦う。
という、戦略で攻略するしかないタイプの上司だろうなと、
勝手に妄想いたしております。
まぁ、道長様は、地方公務員の娘を採用されないでしょうから、勝手な想像の世界ですが。
私が部下なら、多分、配属替えを言い出せる勇気もなく。
せめて、クビになっても、退職金は出して頂けますように、と神仏にすがるしかできないでしょう。
※そんな自分勝手は、お聞き届けいただけないと、承知の上で。。
🎵やたけたの熊さん
高校までは、基礎ですから、暗記もやむを得ないかもしれませんが、歴史学はまったく別ものです。
漢字や言葉の意味を覚える国語と文学研究も別物。
私も化学なんてつまらないとしか思えませんでしたが、あれも専門的にやればおもしろいのだろうと思います。
🎵押しegoさん
どんな人だったのでしょうね。
権力を持つ人間は似たようなものかな、と思います。権力を持つことで人間はたいていダメになるような気もしています。
目を合わせてくれない上司、だろうなぁ・・
まあ、道長様が上司になられる可能性はないにしても。
目が合えば逸らすのに、口調だけは居丈高な上司という印象が、どうしても拭えません。ごめんあそばせ、道長様‥。
源氏物語が世に出たのは。
あなた様のご尽力だと、そこだけは感謝しております。
(結局は、式部様が大人だったのだろう、と個人的見解で完結しております)
アレのアレ。
仮に、道長様からのアレ、を理解できないであろう、私といたしましては。
アレのアレ、という隠語で指示する監督さんのもとで。
優勝なさった選手の皆様の偉業に拍手喝采を送りたいものです。
※三宮の狂騒が、すごいです。ハヨ帰ろ‥。
🎵押しegoさん
パレード、人出がすごかったのでしょうね。私は翌日新聞で見ただけですが。
政治家が口を挟んできたこともあって、バタバタしましたが、ファンの人は楽しかったのでしょう。大阪府市の職員の中にはぼやいている人もいるでしょうが。
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