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傍観者 

社会心理学の用語に「傍観者効果」ということばがあります。
何か事件があって、多くの目撃者がいる場合、その目撃者は自ら行動を起こそうとしないことがあるそうです。つまり「誰かが何とかするだろう」「ほかの人が黙っているのだから、たいしたことはないだろう」「もし自分が行動を起こしたとして、それに対してまわりから変に思われたらいやだ」などと思ってしまうのではないしょうか。
事件というほど大げさなものでなくても、困っている人がいたときになかなか助けに行けない、というのは我々の平凡な日常にもありうることです。
先日、TikTokだったかYouTubeのショート動画か何かで、電車のドアのところで二人の人物(若い男性)が喧嘩をしている動画を観ました。ほんとうにあった出来事を偶然撮影したのか、台本のある作りものだったのかは知りません(そこまで熱心なウォッチャーではありませんので)。
この動画で気になったのは、周りの人がほぼ何もしないことでした。こわくて逃げるわけでもなく、口を挟むわけでもなく、あたかもそこには誰もおらず、喧嘩など

    幻であるかのような

表情をしているのです。これも「傍観者効果」なのかなと思って、私もまた画面の外から傍観していました。
そういえば、ずいぶん以前ですが、私がアパート暮らしをしていたとき、女性の悲鳴が聞こえたことがあり、私はあわてて飛び出したのです。すると階段のところに若い女性がうずくまっていて、夜道をついて来られて突然襲われたと言っていました。もちろん犯人は逃げて影も形もありませんでしたが、そのとき外に出てきたのは私ともう一人同世代の若い男性だけでした。ほかのアパート住民の人も聞こえなかったということはないと思うのですが、まあ、たいしたことはないだろう、と思われたのかもしれません。
2年ほど前に、図書館から出てすぐのところで突然雨が降ってきました。傘を持ってこなかった私は、30mほど先の屋根のあるところまで走らざるを得ませんでした。ところが本を数冊持っていて、それを濡らしたり落としたりするわけにはいかないために、走るのも苦労でした。周りに人はいたのですが、やはり誰もが「短い距離だからなんとかするだろう」ということだったのか、振り向いてはくれませんでした。私自身走ればいいと思っていましたので「Help!」というつもりもありませんでした。すると私の身体がいつの間にか傘で覆われていました。学生さんが一人、何も言わずに(言われてもわかりませんが)さしかけてくれていたのです。私は嬉しくなって「ありがとうございます」と言い、わずかな距離の

    相合傘

を楽しんだ(?)のでした。「傍観者効果」の中でのホッとするひとときでした。
学生さんはときどきこのようにこちらが驚くようなことをしてくれました。
もうひとつ覚えているのが、「先生はいつも授業では明るいですが、落ち込むことはないのですか」と聞かれたことです。「障害があると日常的にいろんなことがあるはずなのに、そんなに明るくしていられるはずがない」という見立てだったのでしょう。
炯眼というのか、見透かされてしまった、と思いました。私としては、授業中はできるだけ明るくしようと思ってきたのですが、どこかに薄暗い(笑)ものが感じ取れるのかな、と思いました。人間誰しも、そんなに年がら年中明るく楽しい暮らしはしていませんよ、とだけ答えておいたのですが、油断も隙もない(笑)と思いました。

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