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一水四見 

昨日、猿沢の池について書きましたが、私はそのとき前川佐美雄の鰻の歌よりも、まず次の歌を思い出していました。

  手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る
    女中茶を持つ猿沢の池

猿沢の池で手をポンポンと叩くと、鳥は恐れをなして飛んで逃げ、鯉は餌をもらえると思って近寄り、女中さんは呼ばれたと思ってお茶を持ってくる、というのです。作者はわからないのですが、興福寺の僧ではないかという説があるそうです。
この歌はしばしば

    一水四見

という言葉を説明する際に引用されます。
水は誰の目にもそう見えるのかというとそうではない。天人から見ると美しい瑠璃や甘露のようであり、餓鬼はそれを飲もうとすると炎に変じ、魚にとっては住処以外のなにものでもないのです。
立場によって、あるいはものの見方によって、同じものでも違って見えるということでしょう。
とかく人間は頑迷になりがちなもので、自分の考えに固執してしまいますが、ちょっとものの見方を変えることで違うものが見えてくることもあります。また、同じことを教わっても、教えを受ける人によってはまったく異なった受け止め方をすることもあるでしょう。教育の難しいところで、学校の教員はこういうことをわきまえていないと、学生、生徒から誤解されることにもなりかねません。自分はきちんと教えている、と思っても、受け止めるほうはそうとは限らないのです。もちろん、そうはいっても誰にも納得されるような教え方なんてそうそうできるものではありません。でも、教える側としては自分のやり方はけっしてベストではないということくらいは知っておきたいものです。私もずっとこういうことが理解できずに一方的な教え方をしてきたように思います。今さら反省したところであとのまつりなのですが。
よく似た意味で、

    「一月三舟」

という言い方もあります。同じ月でも、停まっている舟に乗って見るとじっとしていて、北に進む舟から見ると北に動いているように見え、南に進む舟からは南に動くように見えるのです。
「一水四見」も「一月三舟」も、仏教で用いられる言葉で、説教臭い(笑)のですが、かみしめるに値する言葉だと思います。

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コメント

頂門の一針

新学期に向けて、有り難いご指摘をいただきました。

🎵myonさん

滅相もないことでございます。
自己満足のような話をしてきたな、と自戒しているだけです。

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