本を書くということ(8) 

こうして四校が出てきました。もうほとんど問題はありません。あとは索引との整合性、事実が正しく書けているかのチェック、書き落としはないかの確認、文章の体裁の見直しなどです。
索引もなかなか面倒でした。一人で作業しますので間違いを犯す可能性があります。ですから、ざっと作っておいて、しばらく時間を置いて見直すようにしました。五十音順に並べるのはコンピュータの得意技ですから何も問題はないのですが、データを入れるのは私です。何度もチェックしたのですが、まだ何か間違っているのではないかと案じています。
ここまで来ると編集者さんとの

    二人三脚

になります。日によってはメールを何十通も交換してチェック、チェック。とにかく間違いのない本を目指しますから、神経をすり減らしながらの作業です。「ワオーッ」と叫びたくなることもありました。
英太夫さんの前書き、私のあとがきもあります。特にあとがきにいろいろ指摘を受けましたのでかなり練りました。編集者さんからは「もっと思い切って書いてください」と強く言われました。「みなさんの協力で本ができました」という謝辞だけのあとがきではつまらない、ということでした。
案外、一番

    力の入った

文章はこのあとがきかもしれません。こうして二月の半ばに四校をお返しして、さらに五校(最終校)からしろやきが出てからのチェックもして、帯の文の書き方についても相談し、私の作業はすべて終わりました。印刷所のみなさんにはかなりご苦労をおかけしましたが、あとはお任せします。
こうして本作りはまもなく完成を見ます。できあがったものは小さなもので、書店に並ぶのも短い期間。手にとられたとしてもすぐに書棚に戻されたりしてついには返品ということになるかも知れません。
しかし、私としてはもう悔いはないのです。刊行は三月二十日の予定で、すでにアマゾン、紀伊国屋、楽天ブックスなどには案内が出ています。

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本を書くということ(7) 

写真の選定は私の苦手分野です。ところがここに救いの神が現れ、カメラマンとしてもキャリアのある人が無報酬で撮影してくれたり取材に同行してくれたり、写真選定に意見を言ってくれたりしたのです。
また写真は何でもいいのかと言うと、やはり本にする場合はこういう写真はダメなんです、というセオリーがあるそうで、編集者のSさんからいろいろ教わりました。
カバー写真はどうするか、この部分に入れる写真はどれが適当か、この写真は入れた方がいいか、やめようか、などなどこまごまとしたことを相談しました。
やがて

    再校

が出て、もうこれでほとんどできあがったようなものかなと思いました。なんのなんの。まだまだこれからです。季節は移り、年は改まっていました。
Sさんから届いた年賀状には「歴史に残る本を作りましょう」とありました。いくらなんでもそれは無理ですよ、と言っていたのでは著者としては不謹慎です。そうですとも、歴史に残るようにするんです、と気持ちをさらに奮い立たせて作業を進め、三校が出ました。これでもうほとんど書き直しらしい書き直しはなくなります。折しも私は右手に異常が発生し、パソコンが上手く使えなくなりました。また、真冬の厳しさで呼吸もつらくなり、さらには携帯電話までダメになってしまったのです。なんだかもう

     しっちゃかめっちゃか

の状態で追い込みをすることになってしまいました。
今日は何月何日なのかもわからないような日々でした。授業は終わり、成績も出し、雑務は適当にごまかし(笑)。
この半年、朝から晩までよく働きました。
三校を返したあとで、本に出てくる方が亡くなりました。サッカーの岡野俊一郎さんです。岡野さんは英太夫さんの高校の先輩に当たるのでお名前を挙げていました。私も子どもの頃から憧れていた方ですので、ショックでしたが、それはそれとして没年を書き込まねばなりません。ぎりぎりで間に合いました。(続く)

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本を書くということ(6) 

英さんは忙しいのです。それでなくても公演や稽古、さまざまな催しがあります。それに加えて襲名がらみの忙しさが加わります。例えば記者会見とか写真撮影とか。その合間を縫って編集会議に参加してくださるのです。あるときは約束の時間になってもまだお帰りではありませんでしたが、記者会見が思ったより延びたり、稽古が長引いて遅くなったりということで、これはもう不可抗力です。
英さんをお待ちする間、何をしているかと言うと、奥様に入っていただいて

    チェック作業

をしたりするのです。奥様はとても熱心で細かいことに気がつかれる方で、ほんとうに助かりました。
また私の知人が「こういうことが好きだから」といってゲラ(校正刷り)を読んでくださって「読者の視点」で「こうした方がいい」という意見をズバズバと言ってくれました。
私が気がつかなかったことにルビがあります。ついこんな言葉にルビはいらないだろう、と思ってしまうのです。たとえば

     「竹本住太夫」

の読み方なんてわかりきってるじゃん、と思ってしまうのですが、読者に親切に、ということで、人物にはすべてルビを振り、地名なども極力ルビ付きにしました。
脚注も、とにかくわかりやすく親切に、をモットーに書き換えを何度もしました。(続く)

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本を書くということ(5) 

本を書くということは本当に大変なことです。何もないところから作り上げていくわけですから。
編集者のSさんの「絶対にいい本を作るんだ」という意気込みはすさまじく、私は彼女に乗せられるような形で仕事をすることになりました。
平成二十八年の夏以降は英さんのお宅に伺う回数がさらに増え、話し合いが終わると英さんから「次はいつにしましょ?」と次回の編集会議の日程について相談があり、それまでに何をしておくかを確認し合うのが常でした。
文楽劇場の図書閲覧室に行く回数がまた増えて、たったひとつのことを確認するためだけに日本橋に行くというのは当たり前になりました。大阪の市立図書館も、西長堀の中央図書館だけでなく、北区分館などにも初めて行ったりしました。
それ以外にも調べたいことがあると歩き回ることを厭わず、豊中市や大阪市の

    天満界隈

などは何度も歩きました。具体的な成果はあったりなかったりでしたが、「わからない」ということがわかっただけでも意味があるのです。
いかんせんお金がありませんから(笑)、昼ご飯を削ったり、地下鉄など乗らずに長い距離を歩いたりしました。梅田から日本橋まで歩くのはもう平気です(笑)。
やっと原稿を印刷所に入れ、初校が出るのを待ちました。こうなるとあとは文字の訂正だけでいいかと言うと、そうはいかないのです。どこにルビを振るか、どんな注釈を付けるかなどさらに検討の余地はありましたし、間違い探しも大仕事でした。ひとつ恥ずかしいことを書きますと

     『ひらかな盛衰記』「宝引」

と書いているところがあってびっくり。もちろん正しくは『一谷嫰軍記』「宝引」ですが、うっかりこんなミスをしていたりするのです。
かくして作業は延々と続きました。(続く)

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本を書くということ(4) 

その一方で、インタビューも続けました。
英太夫さんのお宅には何度お邪魔したかわかりません。内心では「また来たんかいな」とあきれられていた(笑)のかもしれませんが、師匠も奥様もいつも歓迎してくださり、「エンジェルさん」と一緒に突っ込んだお話をあれこれうかがいました。
また、写真取材もおこない、英さんの生家跡やその周辺を訪ねたり、一日密着取材を試みたりしました。
密着取材では楽屋から

    床の裏

までついていき、今まさに始まろうとしているお芝居のえも言えぬ緊張感まで味わうことができました。薄暗い床の裏で盆に乗る英太夫さんと竹澤団七師匠のお姿には、芸能者の崇高ささえうかがい取ることができました。
そういう体験をさせていただけたことで、この芸能への理解が深まり、本の姿が自分でも見えてくるような気持ちになりました。
あとはいつ出版するかの問題です。これは出版社の意向もありますので、しばらく様子をうかがっていました。
平成二十八年二月、東京で

    豊竹嶋太夫師匠

の引退公演が行われました。そのとき、英太夫さんは先輩太夫さんから呂太夫襲名を打診され(このあたりのことも本に書いてあります。買って読んでね♪)、驚きはされたもののお受けになる気持ちを固められたのです。そして六月に正式発表。さあ、そのときです。出版社のSさんからゴーサインが出ました。
出版は平成二十九年三月。そのために逆算して仕事をする、ということがあっという間に決まったのです。(続く)

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