住太夫師匠(4) 


師匠は舞台上で講評などをなさったのです。

「こういう場合『いいところを褒める』というのが普通かな、そうしたら、私も少しは褒めてもらえるかな」

と、私は自惚れと期待で住太夫師匠のおっしゃることを聞いていました。
すると師匠は少し首を傾げながら

    「まあまあ

でけてます」と、褒め言葉とは思えない(笑)ことをおっしゃったのです。悪いとは言わないが、いいものではない、という感じでしょうか。あまりにも正直なおっしゃりようでしたから、私はつい前のめりになっていた背筋がピンと伸びました。やっぱりこの師匠は厳しいな、としみじみ感じたのでした。
知人があとで「あの言い方はないよな」と言っていましたが、でも、あのときなまじ褒められていたら私は天狗になっていたと思います。よくぞ首を傾げてくださった、と、これは私の本心です。
このあと、ちょっとしたパーティのようなこともあったのですが、そこではあまりお話ししなかったはずで、住師とのもっとも身近なふれあいはこうして終わったのでした。

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住太夫師匠(3) 

住師との唯一の思い出はやはり能勢の新作浄瑠璃のことです。
浄るりシアターが地元で上演するための新作を募集すると知った私は、ぜひ応募したいと思いました。審査員には住、燕三(先代)、簑助の師匠方が名を連ねていらっしゃいました。
作品はかなり集まったようですが、やはり今ひとつ十分でないとのことで、入選候補者(3人)が集められ、文楽劇場で話し合いがありました。その中に私も入っていたのです。
燕三師がご病気でしたから、三味線からは清介さんが出ていらっしゃいました。
住師はご用がおありだったのか、おいでにならず、清介さんと簑助師匠を前にして候補者が(主に清介さんから)こういう点に注意して書き直してほしい、というお話を承っていました。
そこに現れたのが住太夫師匠でした。
清介さんが深々と一礼されて「お先に始めさせていただいてます」。すると住師は「やっとくなはれ」とおっしゃって泰然としていらっしゃいました。
あまりあれこれおっしゃることなく、その場は終わり、私は多分いくらか書き直してお送りしたのだったと思います。平成8年初めのことです。あまり覚えていないのにはわけがあり、私は身内に不幸があったものですから、バタバタしていたのです。
シアターから私の作品を使うことにした、という連絡があったのは、まだその出来事で慌ただしい日々のさなかでした。
さて、いよいよ初演の日が来ました。
当然私も行きました。

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住太夫師匠(2) 

二代目野澤喜左衛門師と四代目竹本越路太夫師は住太夫師にとって恩人というべき方だったのでしょう。
第一人者になられてからも、越路師のところに稽古に行かれ、劇場では本番あとの越路師からのダメ出しも謹聴していらっしゃいました。
喜左衛門師は三味線弾きでいらっしゃりながら、語りもすぐれたかただったそうで、住師は、よく松王の笑い泣きを喜左衛門師から教わったお話をなさっていました。野澤の姓を名乗る方は、その姓にかなりプライドがおありだったように感じます。そういうのはなくして欲しくない、とも思います。
それはさておき、先代住師、喜左衛門師、越路師から受け継がれた語りをあの小柄な体格で目一杯お語りになり、五十代にして切語りになられ、還暦過ぎで七代目を継がれ、越路師引退のあとは平成の文楽を牽引されました。
栄誉は数限りなく、それについてはもう何も申すまでもないでしょう。
その功績も、あまたの文楽関係者、ファンの方々がおっしゃっているとおりです。
私は、やはり個人的な思い出を書いておくことにします。(続く)

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2018文楽四月公演千秋楽 

文楽四月公演が本日千秋楽を迎えます。
住太夫師匠のことがありましたが、吉田玉助さんの襲名につきましては返す返すもおめでたいこととお慶び申し上げます。
次の東京公演もご奮闘くださいませ。
私は、体調が思わしくなく、実は玉助さんとお目にかかれないままなのです。
直接お祝い申し上げられないことを残念に思っております。
明日から月が改まります。
玉助さん、どうかつつがなく東京公演もおつとめくださいませ。


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住太夫師匠(1) 

文楽太夫の七代目竹本住太夫師匠が亡くなりました。93歳の天寿をまっとうされました。
肺炎に罹られた、とうかがい、案じていましたが、残念なことです。
師匠については、私のような片隅のファンでもいろいろな思い出があります。
その語りについては「沼津」「笑ひ薬」「酒屋」「松右衛門内より逆櫓」「大晏寺堤」「吃又」「引窓」「俊寛」「桜丸切腹」「堀川猿回し」「河庄」「甘輝館」「妹背山の背山」「すしや」「古市油屋」「帯屋」「壺阪」「三婦内」「新口村」「山科閑居」などなど、いくらでも思い出します。
でも、私が一番好きだったのは「沓掛村」でした。これは六代目住太夫師もすばらしくて、三宅周太郎さんが絶賛され、六代目は引退披露でも語られました。七代目の「沓掛村」も、ご尊父の衣鉢を継がれた名品だったと思います。
先代勝平(三代喜左衛門)、先代錦糸、先代燕三、当代錦糸などの三味線で、世話がかった時代物に真骨頂があったように思います。
(続く)