枕草子講座開催(1) 

不安だらけの枕草子講座が昨日から始まりました。
小さな学校で無名の教員が実施するものですから、聴いてやろうという方がいらっしゃるものかどうか、甚だ不安でした。
もし3人以下しか希望者がなければ実施できない、と言われていました。事前に、お二人の方から申し込むつもりだ、とうかがっていましたので、もうひと息、と思う反面、まあ無理だろう、という諦めが強かったのです。
ところが、ふたを開けてみると

    9人

の方がいらっしゃるとのこと。しかも平日の昼間なのに男性が3人(お仕事をリタイアされた方かと拝察しています)。
こういう少人数の場合、参加してくださる方々によってかなり雰囲気が違ってきます。
楽しむぞ、というタイプの方も、じっくり勉強しようという方もいらっしゃるでしょうから、
昨日は、

    初顔合わせ

だけに、お互いに様子をうかがう感じが無きにしも非ず(笑)。
ただ、以前私の講座に来てくださった方が3人いらっしゃいますので、私としましてはまったく見ず知らずの方々ではなかったのです。心強かったです(笑)。
最初にみなさんのお名前をご紹介して、この講座の概略をお話しし、ようやく中味に入ることになりました。

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陽明文庫訪問(5) 

ここで解散し、あとは皆さんまた自由行動。私は、すぐ近くにある光孝天皇(在位884~887)の後田邑陵に参りました。ここがほんとうに光孝天皇の陵であるかどうかはわかりませんが、宮内庁ではそのように定めています。「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ」でも知られる人です。この人はまさか自分が天皇になるとは思わなかったでしょう。なにしろ、兄の系統で天皇は継がれていて、兄の孫がすでに皇位についていたからです。ところが諸事情があって、五十五歳にして即位したのです。
さて、そのあと、「宇多野」駅から大好きな「嵐電」に乗って嵐山方面に行くことにしました。帷子ノ辻まで出て嵐山行きに乗り換え、終点のひとつ手前の嵐電嵯峨駅で降り、この日のもうひとつの目当てであった

    安部晴明墓

に向かいました。少し歩くとまずは長慶天皇陵。まったく静かで誰もいません。そしてすぐ南側にあるのが安部晴明の墓なのです。おりしもご近所の方が花を供えて掃除もしていらっしゃいました。「ご苦労様です」と声をおかけして、写真を撮らせていただきました。
惟でとりあえず予定終了。せっかくなので、渡月橋南東の「琴きき橋跡」、北東の「琴きき橋」石柱なども見ました。これは『平家物語』に登場する

    小督

ゆかりの橋です。高倉天皇に愛された小督は、しかし平清盛ににらまれ、嵯峨に身を隠します。天皇は彼女が恋しくて源仲国に捜索させます。仲国が嵯峨に行ったとき、は秋の月の美しい頃。彼が笛を吹くと「想夫恋」の琴(筝)の音が聞こえてきました。小督の演奏でした。このあと、いったん小督は天皇の元に秘密裡に帰りますが、清盛の知るところとなり、ついに出家させられたのです。彼女の供養塚は今もこのすぐ近くにあります。
こうして私の長い一日は終わりました。久しぶりに平安時代に遡ったようないい日を過ごせたと思います。

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陽明文庫訪問(4) 

総勢23人のグループは、だらだらとした坂道を昇ったところにある「虎山荘」という数寄屋造りの建物の前で止まりました。
ここは私が長年研究会に通っていたところでしたので、皆さんにそのお話をしました。陽明文庫の産みの親で「虎山」と号した

    近衛文麿(1891~1945)

が建てさせたので「虎山荘」といいます。文麿は近衛家30代当主で、3次の内閣を組織した総理大臣となったものの、戦後はA級戦犯として戦争責任を問われることになり東京裁判(極東国際軍事裁判)にかけられることになったため、服毒自殺しました。音楽家の秀麿は異母弟です。
そんなこともあわせてお話ししていたら、文庫長の名和修さんが姿をお見せになりました。
ここからはもう名和さんにお任せで、私は皆さんの後にくっついていきました。
ひととおりのご注意などを頂いたあと、蔵に入ります。こういう体験がなかなかできませんので、みなさんかなり緊張した面持ちでした。
蔵の2階に上るとそこが展示室。
名和さんがお話をしてくださりながら少しずつ拝見します。私はやはり藤原道長の日記

    『御堂関白記』

に釘付けになりました。この日は寛弘七年(1010)正月の部分を出してくださっていました。笛の「葉二(はふたつ)」、和琴の「鈴鹿」などの名器が出てくるところでした。
我々はマスクも用意していきましたので、名和さんはガラスケースのガラスを開けてくださり、本当に「手に取るように」観ることができました。
そのほかの展示物は、伝藤原行成筆『和漢抄』、近衛家煕(予楽院)筆『花木真写』、『歌合序』、『春日権現験記絵』巻二白河院春日参詣、『源氏物語』、伝藤原道長筆『神楽和琴秘譜』、『藤原忠通消息』、『熊野懐紙』、伝定家筆『小倉色紙』などでした。ひとしきりご説明が終わると、あとは自由に拝見。皆さんそれぞれの興味によって変体仮名に挑まれたり、絵巻の風俗について質問されたり、花の絵を楽しまれたりしていらっしゃいました。
ずいぶん長い時間、そうしていたように思います。
こうしてとても充実した時間が終わり、名和さんにお礼を申し上げて陽明文庫を去ることになったのです。

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陽明文庫訪問(3) 


私はかつて通った道をそのまま行こうと思って、阪急電鉄を西院駅で降りて、そこから26系統のバスで行くことにしました。しかし時間に余裕がありましたので、寄り道したのです。西院というのは淳和天皇(在位823~833)という天皇が譲位したあと住んだ淳和院の別名で、このあたりはこの天皇の上皇時代のゆかりの地ということになります。
淳和院があったのは今の四条通の北、佐井通の東で、この角は現在ジョーシン電器になっていますがそのビルの佐井通側(西側)には淳和院の説明板があります。また、少し東に行って西大路を渡ったところにある高山寺の門前にも「淳和院跡」の石碑が建てられています。
その佐井通を少し北に行くと

    春日神社

があります。その名の通り、淳和院の勅諚によって奈良の春日神社を勧請したもので、もちろん春日造り。
日が合わなかったので見ることはできませんでしたが、ここには淳和院の息女崇子内親王の疱瘡を一夜で治したという「疱瘡石」があります。
ほかに、「淳和院礎石」「梛(なぎ)石」「仁孝天皇御胞衣埋蔵之地」などもあります。といっても、私がこの日春日神社に行ったのは、藤が見られるかもしれないと思ったからです。ここには六尺藤という立派な藤があるのですが、あいにくまだ早かったようです。しかしその隣にある

    貞明皇后(大正天皇皇后)

から拝領したという京都御所藤壺の藤はかなり咲いていました。
体調がいまひとつでしたので、それ以外のところには足を向けず、バスで仁和寺前まで行きました。集合時間よりかなり早かったのですが、もう三々五々集まっていらっしゃり、予定通り陽明文庫に向かって歩き始めました。

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陽明文庫訪問(2) 


陽明文庫は京都市右京区の、仁和寺の近くにあります。敷地内には文献を閲覧するための数寄屋造りの建物があり、近衛文麿の号である「虎山」から「虎山荘」といっています。この広間で、私は多くの先生方のご厚意に甘えて、15年以上にわたって研究会に加えていただいたのです。
ですから、私としては蔵に入ることもさることながら、この虎山荘をまた見たいという思いもあったのです。
さて、陽明文庫には午後に行くことになりましたので、午前中はみなさんそれぞれに近くの仁和寺や妙心寺、龍安寺、等持院、少し離れて金閣、あるいは嵯峨野などを散策していただくことにしました。
仁和寺以外のお寺は比較的新しいものですが、見ごたえはあります。
仁和寺は、遅咲きの

    御室桜

があるのですが、今年は一気に気温が上がったのですでに散っていました。以前はもっと遅くまで観られたのですけどね。
仁和寺は『徒然草』の「仁和寺にある法師」でも有名ですが、一緒に行ってくださった皆さんと普段読んでいる『源氏物語』とのかかわりで言いますと、光源氏の兄の朱雀院が出家したあと住んだところがこのお寺を思わせるのです。今ちょうど、出家後の朱雀院が出てくる場面を読んでいますので、そういう意味でも関心を持っていただけたのではないかと思います。
御室というとかつての立石電機、今のオムロンがこの地に本社があった縁でそういう社名にしたことでも知られています。
双ヶ岡があり、皇族の陵が散在し、鳴滝や太秦も遠からず、ということは

    広隆寺

だってそんなに離れていないのです。京福電車に乗れば北野天満宮も車折神社も鹿王院も嵐山ですら遠いという感じがしません。
陽明文庫があるのはとりわけ閑静なところで、初夏に行くとその緑はまぶしいばかりです。

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