ちゃくだのまつりごと 

平安時代の話です。
昔の暦ですから今と季節感は違いますが、五月には「着だ(金へんに大)政」という年中行事がありました。
「ちゃくだのまつりごと」と習いましたが、「ちゃくだせい」と読まれる方もいらっしゃいます。
「金へんに大」の字は、

    枷(かせ)

のこと。罪人にこれを掛けて数珠つなぎのようにするのです。
都にあった市(いち。もともとは東西の市でしたが、西の市は廃れたので東の市のみ)に幄舎(あくしゃ。テント)を張り、衛門佐(えもんのすけ)らの役人がその座に着き、看督長(かどのおさ)という

    検非違使

の下級役人が罪人をつないで引き出します。
検非違使は都の治安を守る警察。文楽人形の首で検非違使というと「けんびし」と訛りますが、本来は「けんびゐし」「けびゐし」です。「非違を検ずる使」つまり犯罪を検察する役人ということです。かなり権力があったようで、泣く子も黙る検非違使、というところでしょうか。
看督長というのはもともと監獄の番人でしたが、のちには警察の最前線として働きました。

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説話の中の歌人(4) 

こうして説話の中の歌人を書き続けていくときりがないくらいですので、もうひとりだけご紹介しておきます。
私も大好きな歌人である和泉式部です。『百人一首』には「あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな」が入っていますが、ほかに「黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」「もの思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」などあまたの名作を残しています。
『古今著聞集』巻第五(和歌第六)に「和泉式部田刈る童に襖を借る事、ならびに同童式部に歌を贈ること」という話があります。
和泉式部が稲荷(京都伏見)に参詣した時、田中明神(京都市下京区の田中神社)のあたりで時雨に遭い、

    田を刈っていた童

に「あを(襖)」を借りて参詣しました「襖」は上に着る袷の類です。そして参詣からの帰りに返したのですが、その翌日、童が手紙を持ってきました。「時雨する稲荷の山のもみぢ葉はあをかりしより思ひそめてき」(時雨の降る稲荷の山の紅葉は青葉の頃から紅葉することを思っていますが、私はあなたが襖を借りたときから思い慕うようになったのです。「あをかりし」は「青かりし」「襖借りし」を掛ける)とありました。すると和泉式部は「あはれと思ひてこの童を呼びて『奥へ』といひて呼び入れけるとなむ」という行為に出たのです。奥へ入れてどうしたとは書いていませんが、書かなくても

    好色な

和泉式部なのだから童の思いを叶えてやったのだということがわかるのでしょう。

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説話の中の歌人(3) 

貫之だけではありません。さまざまな歌人が説話の中に登場します。
『古今和歌集』の歌人で説話がやがて能になる、という意味で同じ経過を辿るものに小野小町の話があります。能の『通小町』はこんな話でした。小野小町の霊が僧の弔いを得た上、受戒しようとすると深草少将の霊がそれを妨げます。少将の霊は「あなたひとりが成仏して私は三途の川に沈んでしまうだろう」と言い、なおも受戒を妨害します。小町の霊がどうしても受戒すると言うと、少将の霊は「自分は煩悩の犬となってあなたにとりついて離れるまい」とまで言います。少将の霊は自分の身の上を明かし、二人は僧の前で

    百夜通い

のありさまを見せます。百日目、小町との祝儀の酒を仏の戒めならやめようという少将の思いが悟りの道に通じて、ついにふたりは成仏することができます。
この話の下地には歌学書の『奥義抄』などに見える「百夜通い」の伝承があるわけです。『卒都婆小町』にも「百夜通い」の話が出てきます。
小町の伝承は能の世界では好んで用いられ、『関寺小町』『鸚鵡小町』『草子洗小町』などがありますが、これらには小野小町が、三河掾になった文屋康秀に誘われた時「誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」と詠んだ(『古今和歌集』)ことを素材にしています。
小町は

    美人

で知られますが、美人ほど老いると零落するというのが常で、彼女は晩年奥州で暮らして、亡くなったあとはその髑髏が野ざらしになっていることになります。

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説話の中の歌人(2) 

説話には霊験譚というものがあります。観音様は現世のご利益を与えてくださるというので、庶民に愛されました。清水寺の本尊は十一面観音ですから、ここにもさまざまな霊験譚があるのです。
京に住む貧しい女が熱心に清水寺に参詣をし続けました。それでも貧しさに悲運まで重なるありさまで、とうとう観音に向かって恨み言を言うのです。そのまま居眠りをしたところ、夢に現れた人が

    御帳の帷子

をたたんで女の前に置いたところで夢が覚めます。しかしそんなものは役に立たないので放置していると、また夢の中で「ありがたくいただきなさい」と言われます。女がこの御帳を着物に仕立てて着ると、いろいろな人からものをもらうようになり、頼み事も引き受けてもらえるようになり、すばらしい男性と巡り会って幸せで豊かな生活をすることになります。
こういう話がいろいろあるのです。
和歌に関する説話にも神仏とかかわるものがあります。『古今和歌集』撰者の

    紀貫之

が紀伊国から都に帰る途次、和泉国でにわかに馬が動かなくなります。それは蟻通(ありどおし)の神のしわざだというので「かき曇りあやめもしらぬ大空にありとほしをば思ふべしやは」(かき曇ってよくわからない大空に星があると思うことができるでしょうか。事情をよく知らない私がここに蟻通の神がいらっしゃるとどうして知ることができるでしょうか。「ありとほし」は「蟻通」と「ありと星」を掛ける)と詠むと馬が歩き出したという話があります。

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説話の中の歌人(1) 

説話文学と呼ばれるジャンルがあります。平安時代後期に編まれた『今昔物語集』を筆頭に、『宇治拾遺物語』『十訓抄』『古今著聞集』『沙石集』『古本説話集』『江談抄』『撰集抄』『雑談集』『古事談』『宝物集』などなど。『宝物集』は鬼界が島に流されて、のちに赦免されて都に戻った平康頼の作と言われています。あの『平家女護島』にも登場する、あの人です。
説話文学は、「事実」や「事実と言われていることがら」をもとにして描かれた文学作品の類です。とはいえ、日記文学、歴史物語、軍記物語などとはさまざまな面で異なります。形態上の目立った違いとしては、ひとつひとつの作品がもっぱら短編で、

    あっという間に終わる

ものが基本であることが挙げられます。それら短編の話を集積したものが説話集としての大きな姿を見せます。
「事実と言われていることがら」といいましたが、口承が下地にあって、それを文字化したものもあります。『十訓抄』のように文字どおり教訓的なものもありますし、『宇治拾遺物語』のように昔話風のものを多く持つものもあります。

    芥川龍之介

が説話をもとに『芋粥』『羅生門』『龍』『鼻』『六の宮の姫君』『藪の中』『偸盗』『道祖問答』『好色』などの名作を書いたことは今さら申すまでもないことでしょう。芥川はさすがに慧眼というべきで、このジャンルの作品の中に人間の本質や弱さを見て現代の文学に再生させました。私も決して読書家ではなかった子どもの頃に唯一おもしろいと思った作家が芥川で、今なお大きな魅力を感じる人です。

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