漢詩を詠む梅 

梅の木が好きなのです。春の始めに咲くために「花の兄」とも言われる白や紅の花もいいですし、実が生るとまた愉しみがあります。
私はこのところ家の老木の実で梅酒と梅シロップを作っています。なかなかいけますよ。
すでに桜が散っているのに、今ごろ梅のことを書くのもどうかと思いますが、文楽四月公演『菅原伝授手習鑑』上演中ということもありますのでご容赦を。
梅と言えば、天神様。『菅原伝授』でおなじみの

    菅原道真

が思い出されます。
道真が太宰府に左遷される時、彼の邸宅(今の下京区菅大臣町)の梅に向かって詠んだという歌もよく知られています。

  東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
     あるじなしとて春を忘るな(拾遺和歌集)

結句は「春な忘れそ」とする本もあります。「〜な」はもともと男性が目下の者に禁じるときに用いられた言い方、「な〜そ」は女性が用いる、あるいは女性に対して用いる言い方でした。後者は「どうか〜しないでおくれ」というニュアンスを感じます。梅を女性のように見れば「な〜そ」もあり得ますし、漢詩人の道真なら漢文訓読にも用いられた「〜な」がよいようにも思います。
この梅の木はすさまじいパワーをもっていて、道真が筑紫に到着するとその片枝が飛んできて、そこに根づいたといわれます。そうです、飛び梅伝説。「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらむ」ですね。
あるとき、道真が筑紫に飛んできて成長した梅に向かって

  ふるさとの花のものいふ世なりせば
     いかに昔のことを問はまし

と詠みかけたのです。「おまえという、故郷からやってきた花がものを言うのであれば、どうにかして昔のことを尋ねように」というわけです。
すると・・・

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初めての詩 

私は小さいころから短詩型文学、つまり俳句、短歌、川柳などがとても好きで、自分も作れるようになりたいと思っていました。
大伴家持十六歳の作にこんなものがあります。

    振り仰(さ)けて みかづき見れば 
        一目見し人の眉引(まよびき) おもほゆるかも

                           (『万葉集』巻6・994)

三日月を見るとあの人の眉が思い出される。
川端康成にも「十六歳の日記」(数え年十六歳の日記)があります。三島由紀夫は満十六歳の年に「花ざかりの森」を書いて恩師清水文雄氏(当時学習院教師。のちに広島大学教授。平安時代文学)に激賞されています。
栴檀はやはり双葉から芳香を放つものです。
私も同じころからいろいろ書いていましたが、栴檀ではなかったために無味無臭でした(笑)。
菅原道真はどうだったのでしょうか。道真の詩文を集めたものに『菅家文草』がありますが、その巻頭に置かれたものは、何と、彼が数えの十一歳の時に詠んだ漢詩なのです。

      月夜見梅花
    月耀如晴雪  梅花似照星
    可憐金鏡転  庭上玉房馨


「月夜に梅花を見る」という題です。「月が輝くことと言ったら晴れた日の雪のようだ。梅の花は空に照る星に似ている。なんとすばらしいこと! 月がゆらゆらとして地上では梅の花房が香っている」。韻や平仄を整えてとても美しい情景を比喩、あるいは見立ての技法を用いて詠んでいます。

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文屋康秀 

「六歌仙」をご存じでしょうか? 古今和歌集の序文に「近き世にその名聞こえたる人」(近い時代に名が知られている人)として挙げられている、在原業平や小野小町ら六人を総称してこのように呼ぶことがあります。
しかしこの六人のすべてが今もよく知られているかというと、そんなことはないのです。『古今和歌集』の序文でも彼らのことを絶賛しているかというとそうでもありません。序文の筆者である紀貫之は「この六人が知られてはいるが、いいところも悪いところもある」と言わんばかりに書いています。たとえば業平なら

     「心あまりて詞たらず」
        (思いがあふれて歌の詞が足りない)

という具合です。
業平と小野小町は美男美女ということで知られていますが、ほかにいくらか知られているのはせいぜい遍昭あたりまででしょうか。古典文学のお好きな方ならともかく、残る文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰(きせん)法師、大友黒主(おおとものくろぬし)はいかがでしょうか。喜撰は『古今和歌集』に一首だけ採られている「世をうじ山と人はいふなり」の歌(『百人一首』にも入っています)で知られているかも知れませんが、この人はどういう経歴で、ほかにどんな歌を詠んだのかなど、よくわかりません。

    文屋康秀

は『古今和歌集』に五首入っていて、「吹くからに秋の草木のしをるれば」の歌は『百人一首』にも採られて有名です。しかしこの「吹くからに」の歌は彼の子の文屋朝康(ふんやのあさやす)の作だという伝えも多いのです。大友黒主は六歌仙で唯一『百人一首』にも採られない人で、知名度もさほどではないでしょう。

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小野小町 

講座の準備を始めています。まずは小野小町から勉強し直して資料を集めています。「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」という、『百人一首』にも採られた歌はよく知られていて、歌人として著名ではあります。しかし彼女の実像はよくわからず、歌もあまりたくさんは残っていません。『小町集』という個人の歌集(「私家集」といいます)があるのですが、これはのちの時代の人が編纂したもので、ほんとうに小町が作った歌かどうかわからないものも多く含んでいます。
そんなわけで、まずは彼女の歌と見てよいだろうと思われる

    『古今和歌集』

の歌を中心に据えます。そして、それ以外の歌も「小町らしいもの」として押さえておきます。
小町は零落したと言われます。だいたい美人は無残な晩年を送るという伝説が起こりやすいもので、小町はその典型だろうと思われます。東北地方に流浪してその地で亡くなったという伝説があり、青森、山形、秋田方面には彼女にまつわる伝承が残っています。
美女の代表が小野小町なら、美男は

    在原業平

ですが、この人が東に下った時に東北に行き、あるところで「しゃれこうべ」をみつけます。土地の人に聞くと、それはこの地で亡くなった小野小町の髑髏だというのです。ほかにも小町についての伝承はいろいろあります。それらを紹介しながら、美人とは、それゆえの伝承とはどういうことなのか、ということも併せて考えてみたいと思います。

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王朝の歌人たち 

新年度、一般の方にお話しする講座を二つ考えなければなりませんでした。ひとつは『源氏物語』で決まっていましたが、もうひとつ、以前このブログで「菅原道真」と取り上げるようなことを書いたのですが、いろいろ考えた結果、あまり興味を持っていただけないかもしれない(漢詩が多いことも理由のひとつです)と思うに至り、変更することにしました。
やや総花的になるのですが、小野小町も在原業平も紀貫之も和泉式部もとにかくさまざまな

    王朝の歌人たち

についてお話しして、平安時代の和歌史を展望してみようと決めました。これでやってみようという方がいらっしゃるかどうかわかりません。しかし、何もしないわけにも行かず、時期も迫っていますので、えいやっ! とばかりにシラバスを作って提出してしまいました。
和歌を読むのはもちろんなのですが、歌人たちがのちの時代にどのように受け止められていたかを探ることも考えており、具体的には本歌取りなどの形で影響を与えたことを考えてみたり、説話などを読んでいかに

    伝説化

されたかを考えたりしてみようと思っています。
たとえば、和泉式部は恋の歌を多く詠み、好色であったかのようにも伝えられています。その結果、どんな説話が生まれたかを調べてみたいのです。
まったく自信はありません。これから相当勉強しなければならないと思われ、いささか焦っています。

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