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方言 

学生がときどき「方言は使わない方がいいですか?」という意味のことを聞いてきます。「え? どうして?」とすら思えるのですが、方言はよくない言葉と思っているのかもしれません。
どこかの学校で、「方言を使ってはいけません」という

    校則

があったと聞いたことがあります。どういう発想でそうなるのかがわかりませんが、校則というところに二重のショックを受けます。なんでもかんでも規定を作ればいいと思っている人が多いですが、およそ健全なことではないと思います。
そういえば、私の仕事場でも、このところ嬉しそうに(笑)規定ばかり作っています。そんなもの、誰も見ませんから、要するにそういうのを趣味にしている事務の人の自己満足なのだろうと思いますが(我ながらすごいいやみ)。
それはともかく、私は学生に「方言はどんどん使ってください。むしろ大事にしてください」と言い続けています。

    「関西弁は汚いと言われます」

と嘆く学生もいます。「汚い関西弁は汚いですが、きれいな関西弁はきれいです」というのが私の答えです。そして汚い言葉は広島弁だろうが青森弁だろうが東京弁だろうが、どこの方言でも汚いです。
おそらくテレビなどで汚い関西弁が横行しているのでそう思われるのでしょう。
上方の古典落語などを聴いてみればその良さがわかると思います。

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椿 

木へんに春と書くと「椿」です。まだ冬のうちに咲くので、春を待つ花、という感じでしょうか。植物学的に言うと「ツバキ科の常緑喬木」なのだそうですが、どうもこういう植物の分類が苦手で、すぐに忘れると思います(笑)。
色とりどりですが、私の家(居候していますので実際は親の家ですが)にも椿があって、これは紅椿です。とてもきれいで大きな花ですから、殺風景な冬の公園や庭を明るくしてくれる魅力的な植物だと思います。
古くからこの国にはある木で、古代では

    神聖なもの

とみられたようです。
椿の葉を二枚使って餅を包むとこれは「椿餅」というものになりました。「つばいもちひ」と読みます。これは蹴鞠をした後の饗応に用いられることでも知られます。『源氏物語』にも蹴鞠の後に梨や柑子(かうじ)とともに出されたことが書かれています。


    「椿市(つばきち、つばいち)」

という市場があり、ここは長谷寺の入り口にあたるため、参詣する人が必ずと言ってもよいくらい立ち寄ったところだそうです。「長谷に詣づる人の必ずそこにとまるは」と『枕草子』も書いています。
「椿姫」という小説、そしてオペラもあります。
余談ですが、唾液のことを「つばき」と言います。でもこれと椿の花に関連はなく、唾液は古くは単に「つ」と言ったり、「つは」と言ったりしたようです。「つはき」となる場合も「つ吐き」の意味なのか、「は」は清音で「つばき」ではなかったのだそうです。

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今どきのバレンタインデー 

相変わらず騒がれる日がやってきました。そして相変わらず私には無縁な日です(笑)。
何度か書いたと思うのですが、20代のころを最後に、女性から何かをもらったということはありません。
今年はたまたま

    病院

に行く日と重なって(笑)、会うのは70がらみのおじさん医者です。
バレンタインデーというのは「告白日」というのがこれまでの常識で、そのためにチョコレートを贈りましょうというお菓子業界の作戦が建てられたのでした。ところが昨今はいささか事情が変わってきつつあるのだとか。
なんでも、チョコレートは買うけれども、普段買えない高価なもの、飛び切りおいしいものを

    自分のため

に買う人が多いのだとか。
お菓子業界としてはどちらでも構わないわけで、そういう風潮になったらそれはそれでもうハート形にこだわることはなく、高級なものを展示会をしながら販売すればいいのでしょうね。Facebookの記事で、50代の女性がまさにそういう感じで阪急百貨店だったかどこかでしっかり買い物をなさったそうです。
ホワイトデーも男性諸氏が自分のために何かを買う日になりつつあるのかな。それなら私は久しぶりにビールでも買いたいです(笑)。

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素人の遺伝子 

Facebookの友だちに、文楽の往年の人形遣いさんのお孫さんという方がいらっしゃいます。私などお名前を知るのみで、もちろん故人でいらっしゃいます。
やはり血のつながりというのは大きな意味があって、その方は今では文楽など伝統芸能を紹介する活動をエネルギッシュになさっています。
うかがったところでは、ご本人はもともとまるで文楽には

    関心がなかった

そうです。とても有名な大学を出られた秀才でいらっしゃって、お仕事もされてこられたようです。ところが今は文楽大好き、伝統芸能大好きでいらっしゃるのです。血のなせるわざでしょうか。
そういえば私にも祖父がいて(当たり前ですが)そのうちの一人、母が他の祖父は文楽大好き人間。自身義太夫節をけいこしていて、肩衣は持っている、見台は持っている、床本は山ほど持っているという人だったそうです(私はほとんどしらない人なのです)。しかし所詮

    素人

で、その浄瑠璃を聞かされたことがあったらしい私の父は閉口していました(笑)。よって父は文楽にはまるで関心がなく、私は隔世遺伝かと思います。しかし素人の祖父ですから、私も結局は素人で終わり、Facebook の自己紹介には「浄瑠璃作者」と書いているのですが、それは「自称」に過ぎません。いや、文楽好きというのは素人で十分です。
でも、「祖父が人形遣いで」って言ってみたかったなぁ。

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さへづり 

ツイッターというのはtwittterであって、辞書には
〔鳥が〕さえずる、高い声で鳴く
〔甲高い声で〕ぺちゃくちゃしゃべる
〔興奮して〕クスクス笑う
〔高い震え声で〕話す、歌う
〔興奮して〕小刻みに震える
などと出ています。私、英語ができないものですから、当初は「twitする人」の意味だろうと思っていたのです。しかしtwitといえば
【他動・名】なじる(こと)、からかう(こと)
【名】〈俗〉ばか者、愚か者、あほ、間抜け、能なし
と出てきますので、これだとえらいことになって今します。
「さえずる」というのはtweetとも言いますから、こっちが私もしばしば使う「ツィートする」のスペルなのですね。けっして「twitする」ではないのですね。

    A little bird told me.

というと「うわさに聞いた」という意味。ここでは鳥が「言う」という表現になっています。いかにも噂を広めるべく鳥が意味のあることを「言っている」感じです。「さえずり」はあまり意味のある感じがしません。
古い言葉にも「さへづり」というのはあります。これはもちろん鳥の声に使いますが、もうひとつ

    何を言っているのかわからない

話し方に使います。京の都の人間が田舎に行くと方言が理解できず、人が「さえずっている」、などというのです。外国の人(平安時代なら朝鮮か中国)の人もやはり「さえずって」いたのです。
たまたま読んでいた鎌倉時代の文章に、都の人が京の桂の人の話を聞いても「さえずっている」といっているところがありました。桂って京都市内でしょ、と言いたくなりますが、やはり田舎だったのですね。

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