波
平安時代の都の人たちは、海というものを見ずにその生涯を終えた人も少なくなかったでしょう。平安京のあった山城国は内陸ですから当然のことです。上流貴族の女性たちなどはほとんどその屋敷を動かずに暮らしますから、海どころか、賀茂川さえもあまりよく分かっていなかったかもしれません。紫式部や清少納言のような身分であれば、石山の観音に詣でたり、父や夫の赴任先に同行したりすることはあります。それだけに、その旅先で琵琶湖を見たり、海を目の当たりにしたりすることは十分に考えられます。
『源氏物語』の主人公光源氏は典型的な都の上流貴族ですが、彼は二十代のころに須磨、明石で海を見ていますので、そこで海を題材にした歌も詠んでいます。
その一方、見たこともないのに海や波を詠むこともありました。よく知られるのは今の宮城県多賀城市にあたる
末の松山
で、もしあなたをさしおいて私が浮気心を持ったら、末の松山を波が越えるでしょう、という意味の
君をおきてあだし心を我が持たば
末の松山波も越えなむ
(古今和歌集)
という歌は、後世に多大な影響を与えました。末の松山を波が超えるなんてありえない、だから私は浮気はしない、というわけです。この歌を下敷きにしたものには、『百人一首』に採られたことでも有名な清原元輔(清少納言の父)の
契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは
があります。「末の松山を波が超す」というと、それだけで「浮気心を持つ」という意味になるのです。実景がどうこうではなく、浮気心を「末の松山」という
「記号」
で表したものと言えるでしょう。
どこからくるのはわからない波。穏やかで、飽きることなく寄せては返す波。しかし平安時代にも起こった東北宮城沖地震では人の命も呑み込んだはずの恐ろしい波。
十一月は、私にとって怒涛の一か月だったと、このブログに書きました。そう、これもまた「怒涛」という「涛(波)」なのです。
「波」という言葉を用いた慣用句にはいろいろあります。「波乱万丈の人生」「秋波を送る」「荒波にもまれる」「波風が立つ」「波にのまれる」などなど。海を知っていた人、見たことはなくてもうわさに聞いた人。それぞれの人にとって波は不思議な力を感じさせる自然現象だったのでしょう。
そして、この二か月の慌ただしい日々を終えた私が今一番感じているのは「寄る年波」なのです(笑)。
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- [2023/11/29 00:00]
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懐かしい方々
先日、市民大学でお話ししたのですが、76人の受講希望者があったと聞いていました。
ところが、実際の出席者は4回の講座を平均すると約半分。一番たくさんこられたのは音楽の先生で、ほぼ70%が来られたそうです。私は2番目で、55%の出席率でした。音楽の先生は、あるいはオペラ歌手か何かだと思うのですが、そういう方は人気がありますね、やはり。
担当者の方にうかがいますと、WEBで申し込みができる(支払いは当日)ために、
とりあえず申し込んでおこう
という方が多かったのだろう、とのことでした。
だから、あまり気にするな、と言っていただきました。少し安心しました。
私の会に来てくださった方の中には、かつて『源氏物語』の講座を実施していた時においでになっていた方が参加してくださいました。声をかけてくださって、懐かしく思いました。
残念ながら、こういう講座は赤字になるようで、小さな学校ですし、今後も実施されないだろうと思います。ほんとうはこういうことが
広報
になるのですが、そういう発想はないようです。
私が以前勤めていた短期大学は、もっと小さな規模でしたが、赤字を出しながらも講座を実施していましたから、考え方が違うわけです。
おそらくこれで私は担当しなくなると思います。今後はまた別のところでお話することができればいいな、と思っています。
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- [2023/11/28 00:00]
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一段落しない
25日の記事で、仕事が一段落したと書いたのですが、とんでもなく甘い考えでした。
三つの頼まれごとが立て続けに入って、あと2週間は同じように苦しまねばならなくなりました(笑)。
例によってそれによる収入はありませんが、それは気になりません。
プロの文筆家
ではありませんから。
原稿料を出すなら、どなたももっとまともな(笑)人に頼まれるでしょう。
ときどき、放送局から、◯◯について知りたい、という問い合わせがあるのですが、知っていることはできるだけ答えるようにしています。ところが、中にはひどい物言いをする人もいて、教えて当たり前だ、と言わんばかりの剣幕でものを言ってくるディレクター(?)もいます。先日もこの忙しいさなかにひとつ問い合わせがあったので、具体的に言ってくださいと(メールで)返事をしたら、
なしのつぶて
で、「頼んでおいて何も言わないとはどういうこと?」と思いました。もう二度と言ってこないで欲しいです。
そんなアクシデントもありながらの日々ですが、今度こそ「あと2週間」ですので何とかがんばります。
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- [2023/11/27 00:00]
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文楽錦秋公演千秋楽
今年は紅葉が遅いような気がします。それでも、冬は確実にやってきました。立冬は11月8日でしたが、そのあと最高気温が10度くらいになることもあって、木々も忘れかけていた紅葉を急いだことでしょう。
今年は山でどんぐりが少なかったのだそうで、そのせいで熊が里に下りてくることが多かったのだとか。これは人にとっても熊にとっても悲しいことだと思います。熊だって冬眠のためにはどんぐりをたくさん食べないわけにはいかないのですから。
文楽十一月公演はそんな中で無事千秋楽を迎えました。
今月の公演の「面売り」「朱雀堤」「道行相合かご」は野澤松之輔作曲。相変わらず松之輔作品は頻繁に上演されています。
これで本年の大阪本公演は幕を下ろし、次はもう初春公演となります。
初春は、「堀川猿回し」を錣・藤蔵、呂・清介、「御殿」を千歳・富助、「政岡忠義」を呂勢・清治という組み合わせで。与次郎は勘十郎、おしゅんは簔二郎、与次郎の母は勘壽、政岡は和生、八汐は玉志、沖の井は勘彌、俊寛は玉男、千鳥は一輔、八百屋お七は勘彌。
その前に十二月東京公演がありますが、これが初めての足立区のシアター1010での公演です。4日から14日までで、大御所の方は出られないのですね。
劇場も最初は手探りかも知れませんが、うまくいきますように。
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- [2023/11/26 00:00]
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一段落
十一月は怒涛の日々でした。
もっと早くからあれこれしておけば楽なのですが、それができない性分はもはや如何ともしがたいのです。
特に十一月の後半は毎日息が詰まるようなありさまでした。『源氏物語』の講座でお話してまずひとつめの山を越えたのですが、そのとたんに、まったく予想もしていなかったところから手助けしてほしいと言われたことがありました。もちろん「今忙しいです」と言って断ることもできたのでしょうが、お世話になっている人からの依頼でもあったので、これもまた性分で断るということができないのです。私はこれまで頼まれた仕事を断ったことはほとんどありません(一度非常勤講師の依頼を断ったことがあり、これは後悔しています)。
お引き受けしたからには、多少休めると思っていた日をそれに当てるほかはなく、その日はずっとパソコンのお相手をしました。一日で終わることではなかったので、それと並行して3つの原稿の仕上げ。これはもう、
締切当日
までかかってしまいました。
この間、わりあいに書いていたFacebookも投稿が一気に減り、かろうじて生存報告(笑)をする程度でした。
折しも、急に気温が下がる時期で、鼻風邪をひいてしまい、それも苦痛でした。
とどめは、このブログで2週間にわたって書いた藤原道長の病気についてのお話をすることでした。
私自身が風邪をひいたのですが、ふと平安時代貴族の
「風病(ふうびょう、ふびょう)」
という言葉を思い出しました。今の風邪とまったく同じものではないのですが、彼らもよく風病になっており、ああ、これも病気の話をするのにふさわしいかも、などとのんきなことを考えていました。
そのお話も何とか終えて、これで一段落したことになります。次は十二月の『源氏物語』の講座ですから、少し余裕があります。それも終わったらもう一年も最後。
今年は短歌の会の関係で年賀状を例年より多めに書く必要があるかもしれません。この10年ほどの間に極力減らしてきた年賀状ですが、今年はどうなりますことか。
ともかくも少しホッとしました。
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- [2023/11/25 00:00]
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