サロン・ドゥ・螺から 

10月8日のサロン・ドゥ・螺での野澤松也さんの演奏はつつがなくおひらきとなりました。
この日のお客様数人とはフェイスブックで新たに「友だち」にしていただきました。松也さんにご挨拶して帰ろうとしたら、例のKさんが「今日はおおきに」という感じでお菓子をくださいました。
どこまでも気配りのすばらしいかたです。
場所が淡路町ですから、どうしても

    冥途の飛脚

を思い出してしまいます。せめて帰り道にはということで吉野鮨さんの前にある「梅川忠兵衛 ゆかりの淡路町」の碑を見てきました。

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↑吉野鮨「梅川忠兵衛 ゆかりの淡路町」の碑

平野町の湯木美術館に行けばよかったのですが、完全に失念していて、そのまま北へ行って伏見町の

    芝川ビル

へ。何だか催しがあるみたいで何人ものかたが出入りされていました。

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↑芝川ビル正面

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↑芝川ビルの窓

疲れがあったため、あまりあちこち行けなかったのが残念なのですが、演奏会のおまけもなかなか楽しいものでした。

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松之輔師の仕事 

野澤松之輔というかたは、昭和50年に亡くなっていますので、私はナマでは聴いたことがないと思うのです。
ただ、私はかなり早い時期からこの方のお顔もお声も知っていたのです。もちろん映像で。というのは、鑑賞教室などの時に上映されていた

    映画 『文楽』

に出ていらしたからです。ついでですが、この映画には桐竹紋十郎師が人形拵えをするのをじっと見ているかわいい吉田簑太郎少年も登場するのです。松之輔師は南部大夫さんに「鳴門」の稽古をするという形で出ていらっしゃいました。南部さんにいかにも師匠然として稽古をされ、南部さんが「はいはい」とおっしゃって従っていらっしゃるのを拝見して、この人は偉い人なんだな、と思った記憶があります。
松之輔師は明治35年生まれでいらっしゃいますから、年代的にもやはり遠い存在です。ご本名が西内重男とおっしゃって、号は西亭。数々の作曲をなさったことで知られます。
木下恵介監督『楢山節考』や大曾根辰夫監督『義士始末記』の音楽を担当されるなど、文楽以外でも活動されました。が、文楽ではなんといっても近松作品の復活上演に際して脚色、作曲をなさったのが有名です。
『曽根崎心中』など、かなり本文も変えていらっしゃいますので、学者さんからは

    評判が悪い

ようです。
ただ、これらの脚色、作曲は古典の復曲という感じではなく、古典を現代風にわかりやすく、という松竹の方針のもとに作られているようです。
『心中天網島』→『心中紙屋治兵衛』『天網島時雨炬燵』のようにストーリーや人物を付け加えたりはしていませんので、改作というには当たらず、原作をサクサクと見せる仕様になっています。

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ドナルド 

とても嫌な思いがします。
客観的に見たら弱い立場なのは私です。
にもかかわらず、強い立場の人物に声を荒らげてしまいました。怒鳴る、なんて私には似合わないのに。
あまりにも理不尽なことを弁護士か事務職員みたいに無感情に言われ腹が立ちました。
おそらくあちらは今後も高飛車に知らぬ存ぜぬを決め込むのでしょうが、闘争心に火がつきました。
いざとなったら本気で喧嘩します。もちろん、したくはありませんが。

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ラテン語 

外国語は苦手です。日本語がこれほど好きなのに、なぜ外国語になると苦手意識が出るのでしょうか。もっとも日本語といっても、いわゆる

   国語学

という研究分野になるとさっぱりでしたから、やはり語学というものが苦手なのでしょう。
ただ、私は大学生の頃、英会話、中国語、ドイツ語、韓国語(ハングル)などをかじったことがあって、NHKのラジオなどでしょっちゅう語学講座や英語ニュースなどを聴いていました。
それでもやはりものにならなかったのは才能の問題なのでしょうか。
先日、マルティン・ルターの本を読んでいたら、彼は4,5歳の頃から

    ラテン語

の初歩を学んでいたのだとか。
昔、映画でできの悪いイギリスの小学生がラテン語を勉強するのがいやで、先生に叱られると「死んだローマ人とは話せませんから」と言ってさらに先生を激怒させるという場面がありました。
ワハハ、と笑う場面であると同時に、小学生がラテン語なんて勉強するのか、と感心した覚えがあります。日本で言うと漢文を小学校で素読させるようなものでしょうか。

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人間国宝のむずかしさ 

今さらですが、吉田和生さんの人間国宝認定に際してメモしておきます。
文楽技芸員さんの多くの方は重要無形文化財(総合認定)の保持者。
そして、

    各個認定 (人間国宝)

になると、太夫、三味線、人形遣いから1~3人ずつ概ね6人を限度に認定されてきました。
制度や慣習、あるいは法的なことはよくわかりませんが、当分はこれくらいの人数で推移するのではないでしょうか。

人形遣いでは、桐竹紋十郎、初代吉田玉男、二代桐竹勘十郎、吉田簑助、吉田文雀についで和生さんが六人目。
玉男、簑助、文雀の3人が同時に人間国宝であった時期もかなり長くありました。
太夫は山城、六代住、十代若、八代綱、四代越路、四代津、七代住、九代綱(九代源)、八代嶋。
三味線は四代清六、六代寛治、二代喜左衛門、十代弥七、松之輔、五代燕三、四代錦糸、八代団六(七代寛治)、清治。
以前は床が

    文楽の屋台骨

として重んじられていたこともあるのでしょうか、人形遣いが少ないです。

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