鑑賞教室初日の楽屋 

この間の鑑賞教室初日に、私はいくつかの用を抱えて文楽劇場に行っていたのです。表には回らず、楽屋に直行。第一の目的は、お願いしていた文楽人形の手の修理ができたから、というので取りにいくことでした。
ほれぼれするような出来具合いで、ありがたいことでした。
そして、

     『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』

の第二刷を図書閲覧室に持って行く用もありました。第一刷のミスを訂正したものを寄贈してきたのです。また、第一刷はすでに入っていましたので、それには訂正メモを貼っていただくようにお願いしました。今後、閲覧室でご覧になる方には第二刷のほうを出してくださるそうです。
また、このミスでご迷惑をおかけした

    豊竹呂勢太夫

さんにも訂正版を差し上げようと思っていたのですが、偶然お姿をお見かけしたのでお届けすることができました。
その合間に、とても愛想のいい方に声を掛けられたと思ったら、豊竹希太夫さんでした。いつもにこにこ。ほんとうに笑顔のいい方です。

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人形の手 

仕事場にある文楽人形の手(娘の手)が汚れ、しかも糸が切れて使い物にならなくなってしまいました。
糸は三味線の上がり糸を使うのですが、私の手元にそんなものはありません。、また、作業が細かく、さらには塗り替えるとなると胡粉も必要です。胡粉は日本画の店に行けばありますが、私にそれを塗る技はありません。
そういうわけで、文楽の人形遣いの中でも抜群に器用でいらっしゃる方にお願いして修理していただくことにしました。

    修理前

の状況は、糸が切れて指の第一関節部が取れてしまって、指革は使えるもののかなり汚く弱くなっていて、さらに全体的に胡粉が剥げ落ちていたのです。ひとことで言ってぼろぼろ(笑)。
私としては、糸さえ替えてもらえたらそれでよかったのですが、さすがに

    職人芸

というのでしょうか、こだわりがおありですから、先ほど書いた点が全部きれいになっていました。
つまり、指革は新しくなり塗り替えられていて指の関節はきれいに接着されていたのです。糸はどの三味線弾きさんのものなのでしょうか。
本当にありがとうございました。

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第36回だしまきの夕べ(予告) 

今週末の土曜日(6月17日)の夕刻、恒例のだしまきの夕べがおこなわれます。
今回から会場が変わります。道頓堀からですと、相合橋を南に折れ、相合橋筋商店街をまっすぐ行った左側、文楽劇場からなら、西に向かって両輪さんを越えて(涙)さらに西へ。堺筋を突っ切ってさらに西へ。すると相合橋筋商店街が右側に見えますので、そこを入ってしばらく歩いて右側。

    福家さん

です。勘緑さんが贈られたのれんがかかっていると思われます。
どうぞ多数ご参加くださいますように。

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2017年 幼稚園二度目の稽古 

先日(8日)、二度目の文楽人形劇の稽古に行って来ました。
このところ、歩くのが億劫な状態が続いているのですが、じっとしていればしゃべるのは大丈夫。激しく動かなければ人形を持つこともできます。
はなはだ頼りない

    「演出家」

ですが、みなさんにいろいろお願いして、いよいよ芝居の台本に従って動きをつけていきます。
次第に形になっていくのは楽しいものです。
カッパの人形を作ってくださった方があり、これでかなり道具も揃いました。
まだ人形の姿勢が全くダメなのですが、これは次回の課題です。
帰り道、

    阪奈道路

ではまた覆面パトがバイクを摘発していました。
私は相変わらず制限速度(50km/h)プラス10くらいで走っていますので大丈夫です。
次回は15日ですからもうすぐ。また頑張ります!

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若き日の父(3) 

先日出てきた父の戦地からのハガキにはあいにくまったく日付が記されていません。ただ、戦時中のことであることは明らかですし、本文に見られる言葉などから、すべて昭和18年から20年に書かれたものだと思われます。
あるハガキに

    「『歩兵全書』

があつたら御送り(下)さい」という文があるのですが、それについて「昭和十九年刊行の分」と書かれています。またそのハガキには「内地も次第に涼しくなつてくることゝ思ひます」ともありますので、九月頃のものでしょう。とすると、戦争の終わった昭和二十年ではないでしょうから、十九年九月という想定ができます。そして「内地出発以来一ヶ年」とも記されていますので、父は昭和十八年、養父が亡くなって一年後に大陸に行ったものと思われます。
このとき父は「中支派遣第一四三野戦局曉第二九四一部隊内藤部隊齋藤隊」に所属していたようです。このハガキの

    検閲印

は「齋藤」とありますので、この隊長なのでしょう。
このハガキによりますと、病気もせず元気にしていたようですが、昼間は酷暑で夜になると冷えるという気候で、それについては「いやなものです」と言っています。
場所についてははっきり書いていませんが、「中支の江上」と言っています。揚子江の近くだったのでしょう。

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