幸助から玉助へ(1) 

先日、文楽人形遣いの吉田幸助さんから襲名のごあいさつ状、扇子、手ぬぐいをいただきました。そんなに親しくさせてもらっているわけでもない私にまでくださって、恐縮しました。
その中に玉助襲名の記念の小冊子も入っていたのですが、以下、そこに書かれている記事を参考にさせていただきながら書こうと思います。
この冊子の中に吉田簑助師匠が「応援の言葉」という文章を寄せていらっしゃいました。師、のたまわく「名人の名跡は次代に受け継がれてこそ、人々の記憶の中で名人であり続けます」と。

    門閥

のある歌舞伎は襲名がたえず行われており、松竹は襲名で稼ぐと皮肉を言われるくらいです。今年は高麗屋の三代襲名で話題になっていますね。
しかし文楽はさほど頻繁ではありませんでした。私が目の当たりにしたのは(以下、順不同)小玉⇒文吾、文字太夫⇒住太夫、勝平⇒喜左衛門、伊達路太夫⇒伊達太夫、織太夫⇒綱太夫⇒源太夫、簑太郎⇒勘十郎、清之助⇒清十郎、団六⇒寛治、錦弥⇒錦糸、燕二郎⇒燕三、清二郎⇒藤蔵、玉女⇒玉男、英太夫⇒呂太夫、咲甫太夫⇒織太夫、四月の幸助⇒玉助などで、口上のない襲名や改名としては勝司⇒富助、若玉⇒文司、南寿太夫⇒呂勢太夫、団治⇒宗助、勘寿⇒紋豊⇒勘寿、紋若⇒紋臣、昇六⇒紋史⇒紋吉、昇市⇒玉誉、清三郎⇒文昇、簑次⇒簑太郎、龍爾⇒友之助、そして四月の喜一朗⇒勝平などがありますから、多く見えますが、歌舞伎ではこの比ではないでしょう。しかも歌舞伎の場合は江戸時代から続く名跡を大事にしていてそれぞれの家で継承しています。
門閥がないだけに、文楽は襲名といっても、縁もゆかりもない人の名前を継ぐこともなかなかできず、多くの大名跡が宙に浮いている状態です。
太夫さんでは、

     「染太夫」や「春太夫」

など復活してほしいと思っている名跡です。
なかんずく人形遣いというのは、江戸時代にはあまり重要な立場ではなかったこともあるのか、当時の人の名が尊重されることは珍しく、いきおい十代若太夫とか九代綱大夫のように多くの人に継がれてきた名跡は多くないといってよいでしょう。「簑助」や「勘十郎」は三代、「清十郎」は五代、「玉男」はもちろん二代。簑助は文五郎師の本名に由来しますし、玉男はご存じ初代が終生名乗られたものです。由緒ある名というと文三郎などがありますが、もうこれはどなたもお継ぎにならないのでしょうね。
初代吉田玉造は江戸時代の末の名人で、長門太夫、団平の「すしや」で権太を遣っていて、腹帯が切れた話が残っています。三者の気合のすさまじさの逸話として有名です。この人の実子が初代玉助でした。

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2018 春休みの宿題(2) 

『源氏物語』の原稿は書き終えることができました。
この春休みの、まず一つめの宿題はできたことになります。
次は新年度の授業の予習です。
私は障害のために授業によほど工夫をしなければならず、そのために費やさねばならない予習時間は半端ではありません。
それだけに長期休みの時にまとめてしておかないと授業が始まってしまうと大変なことになるのです。
新年度は『源氏物語』の

    若き日の光源氏

を話そうと思っています。光源氏が生まれてから22歳くらいまでのお話を、じっくりではなく、飛ばし飛ばしに読んでいくのです。こういうやり方は国文科ではあまり有効でないかもしれませんが、私のような教養科目としての文学を読む場合にはひとつのやりかただと思っているのです。
あまり細部にはこだわらずに話を追っていきます。しかし、だからと言って表現方法などは無視する、というわけではありません。和歌も読みますし、いかに作者が工夫して描いているかも話したいと思っています。この春休みの内にすべての教材を作ってしまうつもりです。
その他の授業、また一般の方々への講座も予習は相当時間をかけないとできません。障害を持つものとしては当然だと思っていますので、別に

    苦になるもの

ではありません。
当たり前だと思えばどうってことはないのです。ほかの人にできて私にできないことがあればそれを補えばいいだけです。
恥ずかしい話ですが、生活が苦しいものですから、新年度からもうひとつ講座を増やして稼ごう(笑)かと思っています。もっとも、人が来てくださらないと講座は成立しませんので、下手をすると予習して終わり、ということになりかねません。

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襲名すること 

文楽では去年から襲名の吉事が続いています。
三代英太夫さんが六代呂太夫に、咲甫太夫さんが六代織太夫に、そして四月には幸助さんが五代玉助に。
私など無責任ですから、もっともっと襲名すればいいのに、と思ってしまうのですが、実際にそうなるとご本人は大変だそうです。へあいさつ回りだの配りものだので

    へとへとになる

とおっしゃっていた噺家さんもいらっしゃいました。
奥様も大変だそうで、一連の行事が終わったら体調を崩される方もいらっしゃるとか。
先日、四月に玉助を襲名される吉田幸助さんからごあいさつ状や手ぬぐい、扇子などをいただきました。
私などにまで下さるということは、それほど多くの方になさっているのだろうと本当に心配になってきます。
以前、

    だしまきの夕べ

に幸助さんが来られた時に、「お金もかかります」とおっしゃっていましたが、そりゃそうでしょうね。
私もポンと10万円くらいお祝いをしたいところですが、とてもそんなお金はありません。
でも、わずかながらでもお祝いは差し上げたいと思っています。

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春は雪のうちに 

昨日は立春でしたが、寒かったですね。
まだまだ寒さは続きそうです。
『古今和歌集』をみても、春の初めの歌は残る寒さを詠んだものが続きます。

袖ひちて掬びし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらむ(紀貫之)
(袖が濡れたまま掬った水が凍っていたのを、立春の今日の風が、今ごろ解かしているだろうか)

前の年の夏に袖を濡らしながら掬った水が、冬になって凍り、それを今日の春風が解かしているだろうか、と、谷川などを思わせる水が夏から秋、冬を経て凍って、今まさに溶け始めているだろうかと想像しています。
「孟春の月、東風氷を解く」(『礼記』)による歌です。

春霞立てるやいづこみよしのの吉野の山に雪は降りつつ(読み人知らず)
(春霞が立っているのはどこだろう。吉野の山には雪が降って降って・・)

平安の都の人から見ると吉野ははるかに遠い山でした。それだけに和歌には雪が景物としてよく詠まれました。
また、「みよしのの山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ」(壬生忠岑)のように、吉野山に入って音信が絶える、という歌もあり、吉野は「遁世する山」という意味合いもあります。
そんな奥深い山では春霞どころか、まだ雪が降っている、というわけです。
立春を機に暖かくなるのではなく、寒さが少しずつ和らいでいく、という感じなのでしょう。
もうしばらくの辛抱です。

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年内の立春 

今日は立春。いよいよ春の声が聞こえてきます。
また、今日は旧暦では十二月十九日で、まだ新年を迎えてはいないのです。
新春のお慶び、というのはまだ先なのですね。
こういう、年内の立春はしばしばありうることで、多分これまでにも書いたことがあると思うのですが(笑)、『古今和歌集』冒頭歌には

    年の内に春は来にけり

      ひととせをこぞとやいはん今年とやいはん


とあります。
なんだか変な理屈っぽい歌だともいえますし、今こういう歌を作って歌会に出したり新聞の短歌欄に投稿したら没になるか酷評されるか、ということになるかもしれません
しかし古今和歌集の巻頭を飾るあまり意味を考えなくてもいい

    挨拶のような歌

だと思えば、おおらかで、笑い声さえ聞こえてきそうでもあると思うのです。
私はいつも、立春おめでとう、いよいよ春だね、という気持ちでこの歌を読んでいます。

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