説話の中の歌人(1) 

説話文学と呼ばれるジャンルがあります。平安時代後期に編まれた『今昔物語集』を筆頭に、『宇治拾遺物語』『十訓抄』『古今著聞集』『沙石集』『古本説話集』『江談抄』『撰集抄』『雑談集』『古事談』『宝物集』などなど。『宝物集』は鬼界が島に流されて、のちに赦免されて都に戻った平康頼の作と言われています。あの『平家女護島』にも登場する、あの人です。
説話文学は、「事実」や「事実と言われていることがら」をもとにして描かれた文学作品の類です。とはいえ、日記文学、歴史物語、軍記物語などとはさまざまな面で異なります。形態上の目立った違いとしては、ひとつひとつの作品がもっぱら短編で、

    あっという間に終わる

ものが基本であることが挙げられます。それら短編の話を集積したものが説話集としての大きな姿を見せます。
「事実と言われていることがら」といいましたが、口承が下地にあって、それを文字化したものもあります。『十訓抄』のように文字どおり教訓的なものもありますし、『宇治拾遺物語』のように昔話風のものを多く持つものもあります。

    芥川龍之介

が説話をもとに『芋粥』『羅生門』『龍』『鼻』『六の宮の姫君』『藪の中』『偸盗』『道祖問答』『好色』などの名作を書いたことは今さら申すまでもないことでしょう。芥川はさすがに慧眼というべきで、このジャンルの作品の中に人間の本質や弱さを見て現代の文学に再生させました。私も決して読書家ではなかった子どもの頃に唯一おもしろいと思った作家が芥川で、今なお大きな魅力を感じる人です。

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讃岐の道真 

私はうどんが大好きで、昼によく作っては食べています。
うどんといえば讃岐ということになっていて、安いうどんでも香川県産でありさえすればよく売れるようです。「なんとか製麺」といううどん屋さんもいろいろあります。江戸落語で「時そば」といっても、上方では「時うどん」です。
学生の頃、東京の大学の学食でうどんを食べようとしたのです。するとうどんが真っ黒な汁の中に泳いでいてビックリしました。汁は飲めたものではなく、ただ辛いだけ。
私はうどんの汁というのは飲み干すものと思っていましたので、驚きました。私が作るうどんは、実はたいしたことがなくて、いちいち出汁をとったりはしません。

    市販の白だし

です(笑)。それでもあの東京の学食よりはおいしいよね、と思いながら食べています。
香川県出身の小説家の方を知っていて、一度ご自宅を尋ねたことがあり、お父様がうどんを食べにいこうとおっしゃって、善通寺市だったと思うのですが、とある讃岐うどんの店に行きました。どうやら人気店らしく、なんだか客を

    流れ作業

で扱っているような愛想のない店でしたが(笑)、それなりに味わえました。その店にはその後も一度行く機会があったのですが、やはり愛想はありませんでした。

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短歌を詠もう(2) 

学生に短歌を詠んでみませんか、という話をしました。
知り合いに歌人の人がいるから、その人に見てもらって自分の短歌に手を入れてもらうようなことをしませんか。
こんなことを言ってみたのです。結果は・・・

    無反応

でした。
小学校教諭を目指す人たちがいますので、きっと一人や二人は「やってみたい」というかな、と期待していたのですが、まったく異次元の話をしているように思われたのかもしれません。
おそらく彼女たちも中学や高校で宿題か何かで、

    無理やり

短歌や俳句を作らされた経験があると思うのですが、それもあまり効果はなかったのでしょう、いや、ひょっとしたら逆効果だったのかもしれません。
そのクラスでどれくらい本を読みますか、ということを聞いてみたら、一切読まないという学生がかなりいました。これまた予想していないわけではなかったものの驚きました。
図書館には行かない、本は買わない。スマホを見ていたら本なんて読む余裕はない、ということでしょうか。
読書のゆるゆるとしたスピード感がもはや受け入れられないのだろうかとも思ってしまいました。

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和歌を詠もう(1) 

以前連載をさせていただいていた短歌の雑誌が、同人の高齢化などが原因で歌誌の刊行を半分に減らしたそうです。
同人が高齢化するということは、どうしても人数が減り、雑誌を経済的に維持できなくなってくるのです。
やはり短歌など今どき流行らないのでしょうか。
もちろん若い人でも短歌を詠む人はいますが、一般的に言って隆盛を誇っているとは言いがたいように思います。
また、短歌作品自体も、最近はあまり感傷的なものではなく、

    明るい笑いの要素

の強いものも多くなってきたように思います。
それはそれでもちろんかまわないのですが、あまりに同じようなものが増えるのはどんなものかと思うことがあります。
新聞に載る短歌では、社会派の短歌というか、

    時事短歌

といえばいいのか、そういうものも多いように見受けられます。
短歌が多様化していくのは当然かもしれませんが、私はそちらのほうには行きたくないというスタンスなのです。
単純にそのときの悲しみや寂しさ、時に喜びやうれしさが詠めればいい、という程度で、やはりこんなふうに旧態に閉じこもっていては上達もしないのかもしれません。

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書評 

昔、論文集の書評を頼まれたことがあります。そんなのしたことありません、と言ったのですが、若い人に頼む、ということになったそうで、私にお鉢が回ってきました。
結局、書評ではなく、紹介に終わってしまい、執筆者の皆様には申し訳ないことになってしまいました。
先月刊行された『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』については、仲野徹氏がhonzに書いてくださいました。
そしてまた短歌の同人誌『橙(オレンヂ)』に、代表の野澤正子先生が「魂を揺さぶる語り・義太夫の世界」と題してお書きくださったのです。
野澤先生はさすがにするどくポイントを押さえた読みをしてくださり、ありがたい限りでした。
売って儲けよう、という発想は、私にはありません。出版社に迷惑がかからない程度に売れてほしいとは思いますが、それだけです。
ただ、ひとりでも多くの方のお目にとまりますことを期待するため、こうして紹介してくださるのはありがたく、アマゾンなどでレビューがたくさん出ればいいな、とも思うのです。
皆様も何かお感じのことがございましたら、どうかお知らせくださいませ。