唐のもの 

『新猿楽記』の右衛門尉の四男は受領(国司)の郎等、五男は天台の学生、六男は絵師、七男は仏師、九男はまだ幼いのですが、舞楽人の養子になっていて、みずからも楽器も舞もみごとに修めているのです。
もうひとり、八男は商人です。金儲けばかり考えて、家族はおろか、他人を顧みないような男です。口先で人を騙して他人の目を抜くような輩なのです。行動力は抜群で、商売のためなら東北の未開の土地から南の「貴賀が島(鬼界が島)」まで飛んでいきます。
この男が大陸から輸入するものがたくさん挙げられています。いわゆる

    唐物

です。まずはお香。沈香(じんこう)、麝香(じゃこう)、栴檀(せんだん)、丁子(ちょうじ)、薫陸(くんろく)、青木(しょうもく)、龍脳(りゅうのう)、牛頭(ごず)、鶏舌(けいぜつ)、白檀(びゃくだん)など。
材木では紫檀(したん)、赤木(あかぎ)、染料では蘇芳(すおう)、陶砂(とうさ)、薬では紅雪(こうせつ)、紫雪丹(しせつたん)、金液丹(きんえきたん)、銀液丹(ぎんえきたん)、紫金膏(しこんこう)、巴豆(はず)、雄黄(ゆうおう)、訶梨勒(かりろく)、檳榔子(びんろうじ)など。
顔料(絵具)では紺青、緑青、胡粉。豹や虎の皮で作った敷物。犀角、水牛の角、メノウ、瑠璃などで作られた調度品。呉竹、吹玉(ガラスを吹いて作る玉)・・・まだまだ書かれています。
大変珍しい貴重なものですが、こういうものが大陸から入ってきたのですね。唐物については河添房江さんの

     『唐物の文化史』(岩波新書)

という面白い本があります。
国産の商品としては金銀、真珠、夜光貝、水晶、琥珀、水銀、硫黄、錫、銅、鉄、絹などの布類等々、これまた数多くを扱っているといいます。
ただ、この男、あまりに旅ばかりしているので、妻子と顔を合わすことはめったになくなっています。
これも極端な人物ですが、こういう人はやはりいつの時代にもいるのだろうと思います。
駆け足で『新猿楽記』に描かれている人々について書いてみました。平安時代にもいろんな仕事があったことが改めて感じ取れました。こういう人たちがあればこそ、貴族も生活ができたのです。

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能書家、修行者、細工師 

『新猿楽記』の右衛門尉の長男は能書家です。字がうまいとそれだけで生きていけます。あらゆる書体(篆書とか草書とかあるいは蘆手(あしで)とか。その字は雲のように軽やかで、流れる水のように滑らかなのです。王羲之、弘法大師、小野道風、藤原佐理らの書風を伝え、天皇にまで依頼されるので、一字のみを書いた反故であっても

    千両の金

に相当する価値があるのです。
次男は大験者。身と口と意が一致して背くことがない(「三業相応」といいます)真言の行者。あらゆる修行を積んで、梵語まで操る能力があります。祈祷を行うとすぐに霊験があらわれます。当時は病気の時には医療も施しますが、祈祷を行うことが重要でした。病因が物の怪であったりしますから、そういうものを追い出すことも大事だったのです。
彼は、

    大峰山

や葛城山はもちろんのこと、各地で修行を経験しています。そこに挙がる名前は、熊野、金峯山、越中立山、伊豆の走り湯、比叡山の根本中堂、伯耆大山、富士、加賀白山、高野山、紀伊の粉河、箕面、近江の葛河などです。
三男は細工師で、手箱(小物を入れる)、硯箱、枕箱(枕を入れる)、櫛箱(くしなどの髪を整える道具を入れる)、厨子(仏像などを安置する)、唐櫃(衣などを収容する)、几帳の柱、屏風の骨、燈台、仏台、花机、経机、高座(僧が説法するときなどに上がる台座)、礼盤(礼拝の台座)、懸盤(食器台)、大盤、高坏、脇息、鞍骨、扇の骨、箙、太刀飾り、唐笠、造花、節巻(弓)など、なんでもござれ。
器用な人は本当に何でも自分で作ってしまいます。私はおそるべき不器用人間なので、こういうのにはあこがれてしまいます。

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白物 


古い記録を読んでいると「白物」という言葉がまれに出てきます。冷蔵庫か洗濯機みたいで、当初は何のことかわからなかったのですが、史料を読む勉強会に出て先輩に教えてもらいました。「しれもの」と読むのがよさそうで、「痴れ者」のことなのだそうです。意味はもちろん、愚か者、あるいはもっと悪い意味で用いられることもあるようです。
『新猿楽記』の右衛門尉の十四女の夫はそういう人でした。この人物は以下に書くような人だというのですが、それがすなわち「白物」という言葉の具体的な内容を記していることになるでしょう。
まず、自分を大げさにほめて、

    他人を謗り

『新猿楽記』の右衛門尉の十四女の夫はそういう人でした。この人物は以下に書くような人だというのですが、それがすなわち「白物」という言葉の具体的な内容を記していることになるでしょう。
まず、自分を大げさにほめて、

    他人を謗り

ます。声が大きくで言いたい放題。口数が多くて、食べるものにうるさく、なんでも欲しがります。笑いを好んでいつも歯を見せています。人をだまして世の道理もお構いなし。生計は博打と盗みによって立てています。親不孝で兄弟仲も悪いのです。こうしてみると「愚か者」というよりも「とんでもないやつ」「いかれたやつ」という感じでしょうか。こういう人は今でもいるでしょうし、私自身思い当たることもあります。博打や盗みはしませんけどね。
とはいえ、この男にも一つ取り柄があるのです。ただ、それについては、このブログではちょっと書きづらいのです(下半身にかかわることなのです。『新猿楽記』はこういうこともあけすけに書きます)。その取り柄のおかげで右衛門尉の十四女とはうまくいっているのだそうです。

土俵上の女性 

ある授業では、最初の時間に孔子や世阿弥を例に挙げて、人は各年代でどのように学びをするのか、を話します。
その際、「孟子」の話もします。
井戸に落ちそうな子どもがいると、人は反射的に助けようとします。自分の危険を顧みず、また、助けることで報酬を得ようなどとは計算せず、瞬時に心がはたらきます。孟子はそれを


    惻隠の心

と言い、「仁」につながるものと考えました。
ほかにも、人には羞悪の心、辞譲の心、是非の心があり、それぞれが義、礼、智の端初となるのです。
先日、大相撲の巡業で土俵上で倒れた人の救命のために上がった看護資格のある女性に対して、若い行司さんが「女性は土俵から降りてください」とアナウンスし、批判されました。
でも、あの行司さんは相撲のしきたりを守る意識がはたらいたのであって、いわば

    是非の心

によってあのように言ったのでしょう。彼にも、命を軽んずる気持ちなどあるはずがありませんから、看護師さんを腕ずくで引きおろそうとはしなかったはずです。
ただ、是非の心よりも惻隠の心は重んぜられるべきだと考えねばなりません。実際、その行司さんは何が大事かよくわかったようで、彼はきっといい学びをしたと思います。

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2018年文楽四月公演初日 

本日、文楽四月公演が初日を迎えます。
申すまでもなく、五代目の

    吉田玉助

襲名披露があります。
玉助さんは交際範囲の広い方で、私もその隅っこに入れていただいています。
それだけによけいに嬉しいです。
また、この公演では野澤喜一郎さんが

    野澤勝平

を襲名され、これも、未来の喜左衛門襲名に向けてのステップアップとして歓迎したいです。

演目は
第1部(11時開演)
本朝廿四孝(桔梗原)
五代目吉田玉助 襲名披露 口上
本朝廿四孝(景勝下駄、勘助住家)
義経千本桜(道行初音旅)

第2部(16時開演)
彦山権現誓助剣(須磨浦、瓢簞棚、杉坂墓所、毛谷村六助住家)

です。
劇場でお目にかかれますように。

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